黥布(げいふ)とはどんな人?中国初!?顔に入れ墨を入れ歴史に名を刻んだ王

2016年2月18日

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コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

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おとぼけ(田畑 雄貴)

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黥布(げいふ)

 

銭湯とかで背中に入れ墨をしている人を見ると、怖いですよね。しかし、楚漢戦争時代には背中ではなく、顔に刺青をしていた男が居ました。その名を黥布(げいふ)といいます。

 

オシャレで顔に入れ墨をしていたのではなく、罪を犯した証として顔に入れ墨を入れられます。その後黥布は項羽(こうう)軍に参戦し、数々の戦で活躍し、最終的には王の位を手に入れます。今回はちょっとおっかない顔に刺青を入れた王様黥布を紹介します。

 

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占い師の予言

于吉

 

黥布は秦の時代平民出身の人でした。彼は若い時占い師に人相を占ってもらった所

「お主。顔に刺青を入れられた後、王になるであろう」と告げられます。英布は「本当か。それはいい事を聞かせてもらった」と大いに喜び、占い師に感謝します。

 

黥布の由来

 

実は黥布という名前あだ名なんです。彼の本当の名前は英布です。なぜ黥布と呼ばれる事になったのでしょう。それにはこのような理由がありました。

 

顔に黥(げい)をされた布さん=黥布

 

英布は罪を犯し、顔に「黥(げい)」を入れられます。

黥は顔に入れ墨をする事です。こうすることで、

この人は罪を犯した人間ですよと、世間に分からせるように行っていたそうです。

こうして同じ囚人として働いていた仲間から「黥を入れられた布さん」と

いう事で、黥布と呼ばれて行く事になります。

 

呂布対項羽

 

脱走して盗賊になる

歴代皇帝の墓を暴こうとする韓遂の兵士

 

黥布は顔に入れ墨を入れられた後、囚人が働いている始皇帝の陵墓建設の仕事に従事しておりました。彼は建設の仕事をしている時に同じ囚人仲間の豪傑や遊侠の親分などと知り合います。彼はその後知り合った囚人仲間と共に脱走し、長江まで逃げます。黥布と囚人たちは盗賊として、長江沿岸の村々や秦の役所を襲い、暴れまわります。

 

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秦に対して反乱を起こす

陳勝・呉広

 

陳勝・呉広の反乱が勃発し、秦帝国に大きな亀裂が入ります。黥布はこの反乱が勃発した時、鄱陽の有名な豪族である呉芮(ごぜい)に気に入られて、彼の娘を嫁にもらいます。その後黥布は呉芮と共に数千人を集めた後、秦に対して挙兵します。陳勝・呉広の乱が発生すると、各地の豪族や元貴族が独立していきます。黥布も彼らと同じ群雄として名乗りを上げる事になります。

 

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項梁(こうりょう)と元に参陣

 

黥布は独立を果たした後、鄱陽に呉芮を残し、自らは軍を率いて項梁の元に馳せ参じます。黥布は項梁軍の先鋒として戦い、実績を上げていきます。項梁は彼の実績を認め、当陽君の称号をもらいます。

 

章邯(しょうかん)

 

こうして実績を積み項梁から期待されておりましたが、秦の章邯(しょうかん)の奇襲により、項梁が亡くなってしまいます。

項羽に仕えた猛将

項羽

 

黥布は項梁の死後、項梁の甥である項羽に仕えます。彼は項羽の元でも常に先鋒として戦い続け、「猛将」黥布の名を内外に広めていきます。彼は少数精鋭の軍で常に敵陣へ最初に突撃し、勝利を得ていきます。

 

鉅鹿の戦い

 

項羽は秦に包囲されている趙を救出すべく出陣します。黥布はこの時も楚軍の先鋒として、鉅鹿の地で秦軍に攻撃を仕掛けます。しかし秦の大軍の前に常勝を誇ってきた黥布の先鋒隊も苦戦。項羽は黥布が苦戦していると知り、全軍を率いて鉅鹿へ向かいます。

 

その後黥布は援軍に現れた項羽の軍勢と共に秦の軍勢を打ち破ります。項羽は少数の軍勢で秦軍を撃破した事で、諸侯から人気を得ます。

 

人が嫌がる仕事を引き受ける黥布

 

項羽は秦軍に勝利した後、秦の名将章邯を降伏させます。章邯はこの時、秦兵20万人ほどの兵力と共に項羽に降伏します。項羽は章邯の降伏を喜びますが、秦兵20万の降伏は喜びませんでした。

 

その理由は、彼ら20万の兵士がいつ裏切るか分からない事と兵を喰わせる兵糧が少なく困っていた事が原因です。そのため項羽は秦兵20万を生き埋めにしようと考えます。黥布は項羽の計画を知り、「俺にやらせてください」と率先して名乗り出ます。

 

項羽は黥布の積極的な姿勢を喜び、彼に秦兵20万人を穴に埋めるように命じます。黥布はとんでもない大きさの穴を秦兵20万人に掘らせた後、彼らをその穴の中に突き落とし、埋めます。こうして人が嫌がる仕事を率先してやることで、項羽に気に入られていきます。

 

入れ墨をした王の誕生

 

黥布は戦では常に先鋒として敵陣を撃破し、人の嫌がる仕事も率先してこなしていき、実績を積み上げていきます。こうして実績を積み上げた成果がついに実ります。項羽は秦を滅ぼし、関中へ入ると論功行賞を行います。

 

主に鉅鹿の戦いに参加した諸侯を王に命じていきます。この時項羽は黥布のこれまでの実績を認め、彼を出身地の六(りく)の地を都とした九江(きゅうこう)王に任命します。こうして昔予言された通り「顔に入れ墨を入れられた後、王になる」と言われた予言を実現させます。

 

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項羽との溝が深まる黥布

項羽との溝が深まる

 

黥布は王になった後、項羽の命令を無視し始めます。項羽は斉王田栄と敵対した時、黥布に出陣するよう命令します。しかし黥布は病と称して、自ら軍を率いて出陣せず、部下に軍勢を任せて派遣。項羽は黥布自ら出陣しない事に不満を持ち始めます。

 

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妻子と領地を捨てて劉邦(りゅうほう)に味方する

劉邦

 

劉邦(りゅうほう)は黥布と項羽の関係性が悪化している事に目を付け、彼を味方に付けようと試みます。劉邦は随何(ずいか)を黥布の元に派遣。随何は黥布の元に着くと、漢と楚を取り巻く諸侯の情勢や漢と楚の勢力差など様々な点から分析。

 

そして漢軍が有利であることを黥布に伝え、味方に付くように説得します。しかし黥布は首を縦に振りません。そんな中項羽の使者が黥布の元へやってきます。随何は項羽の使者が黥布の元に来たことを知ると、項羽の使者を斬り殺し、黥布に劉邦の味方するよう脅迫。

 

黥布は項羽の使者を斬り殺した随何に従い劉邦の味方として参戦します。項羽は自らの使者が斬り殺された事に激怒し、項声(こうせい)と竜且(りゅうしょ)二人の将軍に大軍を持たせ黥布の領地へ侵攻させます。黥布は項羽軍を迎撃するため出陣しますが敗北。そのまま領地と妻子を捨てて、随何と共に劉邦の元に赴きます。

 

漢が天下統一を果たすと再び王へ

劉邦

 

劉邦はその後項羽軍と激闘を繰り広げ、ついに項羽を垓下の戦いで破ります。その後項羽は烏江(うこう)のほとりで自害します。こうして漢が天下統一を果たします。劉邦は領地と妻子を捨てて味方した黥布に淮南王の位を与え、旧領の六を首都にするよう命じます。こうして黥布は再び王として返り咲きます。

 

次々と功臣が消えていく

韓信と劉邦

 

劉邦は天下統一を果たすと功臣達に罪を着せ、次々と消していきます。まず、劉邦の天下統一に一番貢献した、韓信が謀反の罪を着せられ、処断されます。その二カ月後梁王(りょうおう)である彭越(ほうえつ)が謀反を企んだ罪で処断。

 

この時切り刻まれた彭越の肉の一部が、諸侯に配られます。この時黥布にも切り刻まれた彭越の肉の一部が送られてきます。黥布は切り刻まれた彭越の肉を見たとき「次は俺の番だな」と呟きます。

 

謀反の準備を始める

 

黥布は次に疑われる可能性が高いのは自分だと予測し、反乱を起こす準備を始めます。しかし黥布の部下が劉邦に密告。こうして黥布の謀反は劉邦に知れてしまいます。しかし黥布は堂々と反乱の準備を整え、ついに挙兵します。

 

劉邦軍を破り、勢いをつける

 

劉邦は黥布が謀反を起こすと劉賈(りゅうか)と劉交(りゅうこう)の二人に軍勢を授けます。しかし黥布は劉賈を討ち取り、劉交の軍勢を破ります。劉邦軍を打ち破った黥布軍の兵士の士気は大いに上がります。劉邦は二人がやられると自ら軍を率いて反乱を起こした黥布討伐へ出陣します。

 

猛将黥布の真骨頂

 

黥布は劉邦自ら出陣してくると、迎撃の陣を敷きます。彼がこの時用いた迎撃の陣形は、項羽が使っていた陣形でした。劉邦は黥布の陣形を見て、彼を大いに憎み、猛攻を仕掛けます。

 

黥布は自信満々で劉邦軍の猛攻を受け切り、劉邦を負傷させます。こうして激闘を繰り広げる事数時間、この日は決着が着かず、互いに退きます。黥布はその後も劉邦軍を幾度か破り、猛将としての真骨頂を劉邦に見せつけます。

 

だまし討ちに会い殺される

 

黥布は半年以上漢の大軍と戦い続け、勝利を重ねていましたが、漢が次々と大軍を導入し、ついに黥布は敗れてしまいます。彼は城を脱出し、共に挙兵した呉芮(ごぜい)の息子呉臣(ごしん)の元に身を寄せます。しかし呉臣は黥布と関わるのを嫌がり、彼を民家に閉じ込め斬殺します。こうして入れ墨を入れた王の最後は、味方の裏切りによって幕を閉じます。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

楚の猛将として名を馳せた将軍としても有名黥布ですが、顔に入れ墨を入れた王として私が思うに中国の歴史史上初の王でも後世に名を残した人です。しかし劉邦は天下統一前と天下統一後では人物が変わりすぎて到底同一人物だとは思われませんね。

 

疑心暗鬼になる劉邦

 

天下統一前は器が大きく、人を引きつけるカリスマ性に溢れた人物でしたが、天下統一後は猜疑心が深くなり、漢建国の立役者であった韓信(かんしん)・彭越が滅ぼしていきます。

 

韓信や彭越は謀反を起こさず捕虜となって処断されてしまいますが、黥布は正々堂々と挙兵し、彼に対して対抗します。黥布は敗れてしまいますが、劉邦の猜疑心に真っ向から挑んだ王として私は好きな人物です。

 

今回の楚漢戦争時代のお話はこれでおしまいにゃ。次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。

それじゃまたにゃ~

 

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楚漢戦争

 

 

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