皆さんは三国志はご存知でしょうか。こう尋ねると「何をいまさら」と思われてしまいますね。
今回お聞きしたいのは三国志、正史三国志に置ける「伝」についてお聞きしたいのです。この伝は各武将たちの経歴が記録されていて、それが何人かの人物たちと一緒にまとめられたりもしています。
そんな中で、異色の存在感を放つのが、蜀書の諸葛亮。そして呉の陸遜です。今回はここに注目してみたいと思います。
この記事の目次
伝に付いて
三国志は、各国によって魏書、蜀書、呉書とまず分けられます。そしてその上で、巻に名前が付けられ、その巻に人物がまとめられます。
例えば蜀書を例とすると、先主伝には劉備、後主伝には劉禅。そして二主妃子伝には甘皇后、穆皇后という劉備の皇后、敬哀皇后、張皇后という劉禅の皇后、そして劉備の子である劉永、劉理と、劉禅の子である劉センがまとめられています。
この辺りは、巻名とまとめられている人物が分かりやすいですね。
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面白いところ
この伝、もちろん収録されている記録を読んでいくのも面白いのですが、まとめられているメンバーを見ていくのもまた面白い物です。例えば、三国志演義で五虎将として名高い、関羽、張飛、馬超、黄忠、趙雲。彼らは関張馬黄趙伝として一つの巻にまとめられています。
また魏の五将軍と言われる張遼、楽進、于禁、張コウ、徐晃もまた、一つの巻にまとめられていますね。
※朱霊も入っていますが、徐晃伝の中の付録なので、ここでは五虎将から除外して置きます。
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後世で文句も出た
更に面白いのが、裴松之先生の有名なコメント。これも三国志の伝にまつわるものなのですが、魏書において「荀彧荀攸賈ク伝」とあるように、これは荀彧、荀攸、賈クをまとめた巻ですが……裴松之先生と言えば賈クがとってもきらいなことで有名。
「なんで賈クを荀彧や荀攸と一緒にまとめるんだ!程昱や郭嘉とまとめなさいよ!」と言ったエピソードがあります。因みに程昱と郭嘉は別の巻に一緒にまとめられていますね。
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単独
ここらで話を戻しましょうか。
基本的に伝は巻に何人かが一緒にまとめられています。そんな中でも前述した先主伝、後主伝と言ったように、単独で伝が立てられている人物たちもいます。もちろん彼らは君主なので当然と言えますが……その中で、異例とも言える二名がいます。
それこそが蜀の諸葛亮、そして呉の陸遜。彼らは何と、単独で伝が立てられている人物なのです!
※実際には子供とかもまとめられていますが……
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