さて今回のその時歴史に名言を残した(略してレキメイ)は、三国志最大の有名政治家である諸葛亮の言葉です。
孫権は諸葛亮の言葉を聞き、天下統一を果たすため南方に大軍で進軍してきた曹操軍との決戦を決意させる事になるのです。
曹操軍の追撃を必死に躱して江夏へ
劉備は諸葛孔明を三顧の礼で迎えてすぐ、曹操軍の大軍が新野に押し寄せてきます。
孔明は「曹操の大軍に抗うべきではありません。すぐに江夏城へ逃げましょう。」と劉備を説得します。
劉備は孔明の説得を受け入れ、すぐに新野から逃げます。
劉備は新野から逃亡する途中で大勢の民衆が彼に付き従ってきます。
そのためゆっくりとした足取りで江夏城へ向かうことになります。
そのため曹操軍の追撃に長阪で追いつかれ大敗を喫します。
しかし劉備や張飛、趙雲など主な武将は曹操軍の追撃をかわし江夏城へ退却します。
孔明は劉備と合流せず、ある場所へ向かいます。
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孫呉の使者魯粛と共に孫呉へ
魯粛(ろしゅく)は情報収集を兼ねて、荊州へ向かっている途中でした。
荊州に向かう途中で敗北した劉備軍と出会います。
そこで彼は荊州が曹操に降伏した事を知り、劉備軍と江夏城へ向かいます。
孔明は孫呉と結ぶことを劉備に提案し、劉備も快諾します。
そして孔明は魯粛に「主である劉玄徳は孫呉との同盟を希望しております。どうかわたしを孫権様の所へ連れて行ってくれませんか」と伝えます。
魯粛はボロボロに敗れた劉備軍を見て迷いますが、孫家単体では曹操に抗えないため、ボロボロはであるが劉備軍と結んで曹操軍を迎撃するべきだと思い、彼を連れて孫呉へ向かいます。
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悩む孫呉の若き当主孫権
孫権(そんけん)は孫策(そんさく)の跡を継いでから日が浅く、何事にも経験が足りませんでした。
そんな中曹操の大軍が荊州を降伏させたとの報告を受け、驚きます。
彼は曹操に降伏するかそれとも決戦を挑むか迷います。
孫策時代から政治や外交を取り仕切っていた名士出身の張昭(ちょうしょう)や張紘(ちょうこう)などの文官達は「曹操の軍勢に降伏するべきです。理由は曹操が漢の帝を擁しているからです。彼に逆らうことは天子に逆らうのと同じです。」と孫権に提案します。
孫権は文官の言う事にも一理ある事が分かっていたため、迷っていました。
そこへ荊州の情報取集をするため使者に出していた魯粛が一人の男を伴い帰還します。
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孫権との会談
孔明は魯粛に連れられて孫権との会談を果たします。
孔明は孫権に会うといきなり「あなたは曹操に降伏するのですか。それとも戦うのですか。あまり長々と考えている時間はありませんよ。」と伝えます。
孫権は孔明の言葉を聞き「おい。言いたい放題言ってくれんじゃねーか。」と激怒。
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孔明は曹操軍の弱点を列挙
孔明は孫権が激怒しようがお構いなしで言葉を続けます。
孔明は筋道を立てて曹操軍の弱点を正確に列挙します。
孫権は孔明の説得力のある言葉を聞き、次第に決戦へと心を傾けていきます。
孔明と孫権の論を聞いていた文官達も孔明の言論に反論できずただただ聞くばかりでした。
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その時歴史に名言を残した
孔明は曹操軍の弱点を列挙し、孫権が決戦に傾いてきていることを表情から察して、歴史に名言を残します。
孔明は孫権に対して「強弩の末、勢い魯縞をも穿つあたわず(きょうどのすえ、いきおいろこうをもうがつあたわず)」と言います。
名言の意味
この名言の意味は「強い弓矢も勢いあればこそ目標に突き刺さるのです。
しかし勢いを失った矢は薄い絹すら通せません。」と言う意味です。
孔明は続けて孫権に「曹操軍は北方からわざわざ遠い地である江東へ遠征に来ており、疲労がたまっているはずです。
兵法でも無謀な遠征を厳しく禁止しているのもこのためです。」と説得。
孫権はこの言葉を聞き、決戦へ気持ちを傾けます。
その後孫権が一番信頼している家臣である周瑜(しゅうゆ)も決戦すべしと言ったため、彼は孔明と周瑜の言を採用し曹操軍と決戦を選ぶことになります。
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三国志ライター黒田廉の独り言
孔明は孫権の説得に成功した事で、劉備と孫権の同盟が成立する事になります。
また孫権が曹操軍と決戦する事を選んだおかげで劉備は曹操軍に抗う事が出来、飛躍する事が出来るのです。
孔明がもし説得に失敗していれば劉備が三国の一つである蜀に国を建てる事は出来なかったでしょう。
こう考えると正に歴史を変えた名言と言える言葉の一つでしょう。
今回のお話はこれでおしまいにゃ。次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。
それじゃまたにゃ~
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