三国志には魏・蜀・呉のそれぞれの国に多彩な武将たちが登場し、ストーリーを彩っています。そのうち、魏の武将の中でも特に人気が高い武将が張遼です。そこで、今回の記事ではそんな張遼の人気や評価の高さについて、歴史的に見ていきたいと思います。
張遼に対する同時代の評価
張遼という武将は三国時代の武将たちの中でも、同時代の人々から既に高い評価を得ていた稀有な武将です。張遼と同時代の人々の中でも張遼を特に評価していた人物が、魏の曹丕と呉の孫権でした。
曹丕は言わずと知れた曹操の息子で、後漢の献帝から禅譲を受けて魏の初代皇帝となった人物です。曹丕は、呉との前線地帯を長年守り続けた張遼を高く評価しており、『正史三国志』によれば、張遼が都の洛陽を訪れた時には自ら宮殿を案内し、張遼やその母のために御殿を建てさせたほどでした。
また、張遼が病に倒れると、皇帝を診るはずの侍医をわざわざ派遣して治療させ、自ら張遼を見舞うほどでした。そして、張遼が病死した際にはその死を嘆き悲しみ、張遼の一族を重用したといいます。
曹丕が張遼を高く評価した背景には、張遼の長年の曹操・曹丕への忠誠はもちろんのこと、蜀と呉の二国と同時に戦わなければならない魏にとって、呉のとの国境を押さえてくれる張遼の役割が大きかったのでしょう。
また、合肥の戦いでは張遼に散々にやられた敵の孫権も張遼を高く買っていました。張遼が病に倒れたのを知った部下たちが魏を攻めようとしますが、孫権は「張遼は病といっても、これに立ち向かうべきではない」と言って魏への攻勢を躊躇しました。
このように、張遼は敵の孫権にトラウマを植え付けるとともに、孫権も張遼の武力を高く評価していたのですね。
関連記事:孫権vs張遼! 第1次合肥戦役と豪傑・太史慈の最期
関連記事:もしも、合肥の戦いで張遼が孫権を討ち取っていたら三国志はどうなる?
張遼に対する後世の評価
張遼は、後世の歴史家や著述家たちからも最大級の賛辞を持って讃えられる武将でした。まず、『正史三国志』を著した陳寿は、張遼・楽進・于禁・張郃・徐晃という魏を代表する5人の将軍を同じ列伝に収録していますが、この中で張遼は筆頭の位置を占めています。
この点からも、夏侯惇や曹仁といった曹操の一族を除けば、張遼は魏の名だたる武将の筆頭格として見なされていたことがわかりますね。また、唐の時代には、唐の皇帝徳宗が歴史家たちを集め、中国の歴史を代表する名将たちを選ばせて「武廟六十四将」とし、伝説的な軍師太公望の廟に合祀させたのですが、この「武廟六十四将」に三国時代から8人の武将が選ばれています。
そのうち、魏の武将はわずか2人しか選ばれていないのですが、張遼は名だたる魏の諸将を押さえ、この中に選ばれているのです。(ちなみに選ばれたのは、関羽・張飛・張遼・鄧艾・周瑜・呂蒙・陸遜・陸抗)
さらに、張遼に合肥の戦いで散々に敗れ、トラウマを植え付けられた呉の人々の間では、泣き止まない赤子に対して「遼来遼来(張遼が来るぞ)」と呼び掛けると泣く子も黙るという伝説が語り継がれています。
なお、これに関しては「遼来来」というフレーズが有名ですが、これは吉川英治先生の『三国志』がきっかけで広まったもので、正しい中国語ではなく、正しくは「遼来遼来」だそうです。このように、張遼は古代中国の人々からも既に魏を代表する武将としての高い評価と根強い人気を博していることがわかりますね。
関連記事:武廟六十四将から読み取る「三国志最強の武将」とは?
関連記事:「泣く子も黙る」ということわざはどうやった生まれたの?張遼の評価に迫る
現代日本における張遼の人気
そしてもちろん、本場中国以上に三国志が人気を博しているといわれることもある現代の日本においても、張遼は数ある武将の中で特に人気の高い武将の一人です。
2019年にPHP研究所が発行する雑誌『歴史街道』が実施した三国志の登場人物に関する人気調査では、張遼が第9位にランクインしています。同誌ウェブサイトで公開されている人気ランキングでは、「1位・諸葛亮(孔明)、2位・関羽、3位・曹操 趙雲 劉備(同率)6位・呂布、7位・張飛、8位・姜維、9位・張遼、10位・徐庶」
(あなたが好きな「三国志」の人物は? ランキングより)となっています。
これを見ると、張遼の順位が9位というのはどこかパッとしないように思われますが、張遼以外の武将は曹操と呂布以外は全て、劉備陣営ないしは蜀の武将ということを考えれば、曹操を除けば魏の武将の中で唯一このランキングに食い込んでいるのは、驚異的と言っても過言ではないでしょう。
日本では、吉川英治先生の小説『三国志』や横山光輝先生の漫画『三国志』などの『演義』を基にした作品が有名になっていることもあり、どうしても『演義』の主人公である劉備とその周囲の武将たちの人気が高くなってしまいます。その中で、『演義』では脇役に甘んじているはずの張遼がランクインしているのは、張遼の根強い人気の高さを反映した結果と言えるのではないでしょうか。
関連記事:張遼の魅力とは?古代中国の歴史家からの高い評価を得た理由
関連記事:武廟十哲に諸葛孔明が選ばれている理由は何?中国名将ランキングを推察
三国志ライター Alst49の独り言
いかがでしたでしょうか。張遼は、現代の日本はもちろんのこと、古代の人々からも既に高い評価と根強い人気を得ている武将でした。三国志人気を支えている『演義』が劉備と蜀を主人公としている以上、どうしても人気という面では割を食ってしまいがちな魏の武将たちですが、その中でも人気ランキングに食い込んでいる張遼はやはり飛びぬけた人気を誇る存在ということになりますね。
関連記事:戦下手な皇帝 曹丕を支えた張遼、凡庸な皇帝との絶妙な関係性に迫る
関連記事:張遼の死因とは?三国志演義と正史で食い違うその記述