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で、ヒゲ袋って何??
残念ながら(?)日本にはヒゲ袋なる文化は余り浸透してないようで、全く想像しづらいのですが、大辞林 第三版によると
あごヒゲを入れる布製の袋。両耳から紐でつる。
だそうです…。
て事は、日本でも使ってた事があるのかな?
そして、そんなヒゲ袋を着用した関羽。想像つきません…
『美髯公(びぜんこう)』の名付け親は献帝!?
先ほどの曹操とのエピソードの続きです。曹操から綾錦のヒゲ袋を贈られた関羽は、結構気に入ったらしく、翌日そのヒゲ袋を身につけて姿を現します。関羽の胸元に垂らされている美しいヒゲ袋に目を留めたのが献帝。
その場でヒゲ袋を外させたところ、ヒゲは関羽の下っ腹に届くほどの長さだったのです。それを見た献帝が思わず、
「まさしく美髯公よのう。」
と一言呟いたとか。それ以降、美髯公が関羽のニックネームの一つになりました。献帝、なかなかのネーミングセンスですね!綾錦のヒゲ袋も気に入ってもらえて、さぞや曹操も嬉しかった事でしょう。
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鬚と、髯と、髭の違い。
さて。ヒゲを表す漢字には『鬚』『髯』『髭』の3つがありますが、実はそれぞれ違いがあります。
『鬚』は、顎ヒゲ
『髯』は、耳のそばから頬にかけての頬ヒゲ
『髭』は、口ヒゲ
という区別があるのです。
関羽は、『見事な鬚髯をもっていた』と記されている事から、顎ヒゲ&頬ヒゲが美しく長かったという事になります。この区別を知ってると正史などを読む時に「ニヤッ」とする事ができますね!
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他にもいた!三国志ヒゲ自慢達
三国志には関羽以外にも特徴的なヒゲや、ヒゲの美しさ、長さについて演義や正史で言及されているヒゲダンディ達がいます。
【張飛(ちょうひ)】
燕頷虎須(アゴが張り虎のように威厳のあるヒゲ)
おなじみの虎ヒゲですね。実は正史には虎ヒゲといった記述はなく、演義での後付け設定なのですが、もはや虎ヒゲ以外の張飛は考えられない程に定番化。
【孫権(そんけん)】
碧眼紫髯(青い目に紫のヒゲ)
『呉書呉主伝注 献帝春秋』に記述。この紫髯は赤ヒゲという事らしいです。しかも寿命が長く、帝位に着く事ができる吉相だと言われていました。この紫髯という表現は胡人を表す時に使われたそうです。
【程昱(ていいく)】
身長八尺三寸、顎・頬に見事な髭を生やしていた。という記述が『魏書』にあります。ちなみに身長は現在でいえば約191cm。本当に太陽を支えられそうな高身長ですね。
身の丈七尺七寸、髭が立派な威丈夫と、『太史慈伝』にあります。身長は約180cmですかね。威丈夫とあるあたり、イケメンだったと推測されます。高身長のイケメンのヒゲは反則です!
三国志ライターAkiのひとり言
古代中国の時代にヒゲを伸ばさないのは、必ずしもマイナスイメージという訳でもなかった、とする研究家も居ます。それでも宦官に間違われるのが嫌だとか、威厳を表す為にヒゲを伸ばしていた人は多かったんじゃないでしょうか。
三国志演義でも人物の容姿の説明にはヒゲの描写が多い事からも、当時の男性にとってのヒゲは特別な意味合いがあったのだと思います。ワイルド感ですかねぇ。
ちなみに一般的に毛は1日に0.2〜0.3㎜伸びるそうです。
関羽は『身長九尺、髯長二尺(身長約210㎝、ヒゲ約45㎝)』
なので、約45㎝のヒゲに育てるまでには6年以上はかかっていた計算になりますね!そこまで時間をかけた自慢のヒゲなら、ヒゲ袋に入れて大切に保護したくなる気持ちもわかります。髪は女の命ですが、ヒゲは男の命だったんですね。
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