歴史好きでなくても一度は聞いたことがあるのが、中国の兵法書である「孫子の兵法」。
孫子の兵法は、三国志よりもさらに昔の中国古代・春秋時代に活躍した孫武によって書かれた兵法書で、
戦争の記録を分析・研究し勝利を得るための指針を理論化したものです。
三国志でも多くの英雄が孫子の兵法を読み、数多くの戦績をあげました。
さらに、孫子の兵法は中国だけではなく、世界にもその影響を及ぼしました。
今回は、孫子の兵法を読んだ歴史上の人物とその活躍について紹介をしていきます。
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この記事の目次
三国志で一番の愛用者、曹操
曹操(そうそう)は、孫子の兵法を戦いだけでなく政治や人材育成にも活用していました。
その力の入れようはかなりのもので、なんと孫子の兵法を編集し直したのです。
その孫子の兵法を「魏武注孫子」(ぎぶちゅうそんし)といい、現代に残る孫子の兵法は「魏武注孫子」によって残されたものです。
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北伐で見る諸葛亮の孫子の兵法
北伐は、蜀が魏討伐に向け進軍する戦いです。
この戦いでも諸葛亮によって、孫子の兵法は活用されていました。
諸葛亮が北伐をする際に上奏した出師の表も、孫子の兵法に基づいて行われたものです。
出師の表により、蜀の皇帝劉禅や蜀の武将が、同じ気持ちで北伐に向かえる様に意思統一を図ったのです。
また、厳罰や兵の休暇についても孫子の兵法の影響がありました。
孫子の兵法には、「普段から、法令が公平適正に実施されていれば、民衆はよく服従する。」というものがあります。
諸葛亮は、これを厳格に守っていました。
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泣いて馬謖を斬る
そのエピソードとして有名なのが、命令違反を犯した馬謖(ばしょく)を切り捨てたことです。
馬謖といえば、諸葛亮が最も可愛がっていた部下であり、諸葛亮の後継者として育てていた人物です。
しかし、馬謖は戦いの最中に命令を無視して、蜀を敗戦に導いてしまいます。
これに対し諸葛亮は、軍律か愛弟子のどちらかを選ばなくてはならなくなり、軍律のために馬謖を切り捨てました。
また、蜀の兵は交代で休暇をとる制度を採用していました。
諸葛亮は、敵が迫っていることに関係なく、この取り決めをしっかりと守って、兵に休暇を取らせました。
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孫子の兵法により成長した呂蒙
「呉下の阿蒙」と呼ばれた呂蒙(りょもう)は、武勇のみの猛将でした。
この呂蒙に対し、知略を身に着けるように勧めたのが、呉の君主である孫権(そんけん)です。
呂蒙は孫権の助言に応えるために、必死に勉強をします。その時、勉強に使われたのが「孫子の兵法」です。
その後の呂蒙は、魯粛と会談し「士別れて三日なれば、即ち更に刮目して相待すべし」とまで言わせました。
武勇と知略を備えた呂蒙は多くの戦績を挙げますが、魏に対抗するため蜀が統治していた荊州南部を奪還したのは大戦績となりました。
この時、劉備(りゅうび)の義弟である関羽(かんう)を破り処刑したことで、張飛(ちょうひ)は配下に殺され、復讐に走った劉備は夷陵の戦いへと向かいます。
魏との戦いに向けて蜀にダメージを与えたのは、知略のなせる技といえるでしょう。
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日本で孫子の兵法を体現した武田信玄
武田信玄は、日本の戦国時代に甲斐国(現、山梨県)を統治していた大名です。
武田信玄の旗印に使われた「風林火山」は、孫子の兵法から取られた言葉です。
厳密には、「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」という一文を引用しています。
武田信玄は、戦国時代において、孫子の兵法をフル活用していた人物で、特に篭城する敵を心理戦で誘い出し殲滅する戦いを得意としていました。
その戦法には、後の天下人である徳川家康も敗れていて、この時の恐ろしさを忘れないように、無事に帰還したときの恐れた自分の姿を絵に描かせたほどです。
その後、徳川家康は武田信玄を研究し、天下統一を果たします。
また、武田信玄は戦い以外にも孫子の兵法を取り入れており、股引の色を統一することによりスパイを判別し、敵に情報を知らせないために独自の言葉を使わせました。
ちなみに、この独自の言葉は現在の甲州弁として受け継がれています。
西洋に渡った孫子の兵法を学んだナポレオン
フランス共和国皇帝であるナポレオン・ボナパルトは、孫子の兵法を愛読していました。
ヨーロッパに孫子の兵法が入ったのは、意外と遅く16世紀末のことです。
ナポレオンが読んだとされる孫子の兵法は、フランス語に翻訳されたもので、戦いだけでなく行軍中の補給にも活用していました。
また、軍人としても優れていたナポレオンは、孫子の兵法を活用した戦法で負けなしの軍隊を築きます。
最強艦隊を破った東郷平八郎
日本海軍司令官の東郷平八郎もまた孫子の兵法を愛読していた人物の一人で、日露戦争に唯一持って行ったのが孫子の兵法です。
東郷平八郎は日露戦争において、当時最強艦隊と言われたロシアのバルチック艦隊を破った人物で、この時、艦隊戦の戦法の一つである丁字戦法を採用した背景には孫子の兵法があり、戦局の主導権を握ったと言われています。
結果は日本軍の圧勝に終わり、当時白人が優位にあった世界に有色人種が勝利するという衝撃を世界に与えました。
その後、日本はアジアで唯一の列強国となりました。
組織的に孫子の兵法を取り入れたアメリカ軍
ベトナム戦争で撤退を余儀なくされたアメリカ軍は、戦略を取り入れるために孫子の兵法に注目しました。
特に、湾岸戦争ではアメリカ軍関係者に孫子の兵法を配布し、軍事学校では孫子の兵法を必読教材、必修科目に設定しました。
その結果、湾岸戦争では正面攻撃と見せかけ別動隊による奇襲作戦により、地上戦を100時間で終了させます。
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孫子の兵法の愛読者ビル・ゲイツ
孫子の兵法は戦争だけでなく、ビジネスにも活用されています。
マイクロソフトの創始者であるビル・ゲイツもその一人です。
ビル・ゲイツは、若いころから孫子の兵法を愛読し、事業躍進の基本戦略に役立ててきました。
三国志ライター黒太子の独り言
孫子の兵法は、紀元前に孫武によって書かれた兵法書ですが、2000年以上の歴史を経過した現代でも第一線として活用できる書籍の一つです。
過去から現在に至るまで、数多くの偉人たちの手に渡り、輝かしい勝利を収めてきました。
曹操や諸葛亮、呂蒙など歴史の偉人たちが読んでいた書物を、現代でも読むことができるのは感慨深いものがあります。
また、現代の戦争ともいえるビジネスに活用できることも孫子の兵法の魅力の一つで、
その汎用性の高さや、読み手による捉え方、時代への即応力など、書籍として必要最低限しか記されていないことも現代まで残った理由だと言えます。
孫子の兵法を読んだから成功する訳ではありませんが、
成功した人物の多くは孫子の兵法を読んでいます。成功した人物が手にした孫子の兵法を読んでみてはいかがでしょうか。
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