夷陵(いりょう)の敗戦に端を発する劉備(りゅうび)の死去、
それに乗じた司馬懿(しばい)の進言による魏の呉蜀への侵攻それらのピンチを
劉備に後を託された孔明は乗り越えてゆきます。
そして、冷却した呉との同盟を回復し、度々の叛乱を起す南蛮の孟獲(もうかく)を
自ら討伐軍を指揮して討伐すると、いよいよ、背後と側面の憂いが消滅します。
ここに至って、孔明は亡き劉備の遺志を引き継ぎ北伐を開始し魏を滅ぼさんと行動します。
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この記事の目次
孔明の南蛮征伐の翌年、曹丕(そうひ)が死す
孔明が自ら親征した南蛮討伐の翌年の西暦226年、魏の初代皇帝曹丕が死去します。
曹丕は息子の曹叡(そうえい)を後継者にしており彼が即位して
明帝(めいてい)になりました。
これを受けて、孔明の気に入りの重臣である馬稷(ばしょく)が提案します。
馬稷「曹丕は、司馬懿めとは学友で二人の仲は裂き難いほどに強固でしたが、
現在、即位した曹叡は、司馬懿との信頼関係はさほどでもありません。
ここは司馬懿の流言を流して、これを前線から遠ざけましょう」
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孔明、司馬懿をdisり、司馬懿は更迭される
孔明は司馬懿の軍略を疎ましく思っていたので、馬稷の提言を採用、
すぐに間者を放ち、高札を立てて司馬懿を誹謗しました。
「司馬懿は、柔弱な明帝(曹叡)をこころよく思っていない。
むしろ、武帝(曹操)は曹叡を帝にする事には反対だったと言っている」
魏は、皇帝即位の微妙な時期で、この流言は瞬く間に広まります。
曹叡は激怒して、司馬懿から官位を剥ぎ取り、国許の荊州へ謹慎させます。
※これは三国志演義の脚色であり正史では司馬懿は4回と5回の北伐以外では
孔明との戦いの責任者ではありません、実は司馬懿は荊州に駐屯していた
対呉戦の指揮官ですし、流言により更迭されたという記述はありません。
第3回北伐までは、孔明と対峙していたのは曹真です。
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孔明、北伐出陣に辺り出師の表を出した理由
さあ、チャンスは到来しました、魏で孔明に匹敵する力量があるのは司馬懿だけ
その司馬懿が更迭された今こそ、北伐を行い、逆賊である魏を滅ぼし
漢の天下を取り戻す時なのです。
そこで孔明は、出師の表をあらわし、新しく皇帝になった劉禅に自身の
決意を語りました。
孔明が出師の表を出した理由は大きく分けて二つあります。
一つは、即位はしたものの、17歳と年若く、また凡庸な劉禅(りゅうぜん)に対して、
自分が北伐で留守にしている間にも、堕落して遊び呆けず、よく賢臣の
言う事を聞いて蜀を守るようにという言いつけです。
そして、もう一つは、南蛮討伐で国力が疲弊しているのに、
さらに北伐を行う事に不満を漏らす、蜀の人民と家臣達を説得する為です。
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孔明が語る、蜀を建国した意義とは!
劉備が死したとは言え、蜀では南方の叛乱も鎮圧され、険しい秦嶺山脈により
魏や呉の侵略からは守られているという安心感が出ていました。
そこで、「戦争は抑えて、じっくりと国力を高め魏の政変に乗じ
呉と共同して戦うのが無理のない計画である」という防衛論が出てきていたのです。
しかし、孔明はその防衛論を嫌っていました。
まず、第一に蜀の国力が高まる頃には、魏の国力はそれと比較にならない程に、
高まり、とても討伐するどころではなくなるという点があります。
そして、もう一点は、劉備の遺志である漢王朝の天下の回復です。
蜀は地方政権として誕生したのではなく、逆賊、魏を滅ぼして漢の天下を回復させる
その為に誕生した果敢に攻める政権だと主張したかったのです。
孔明、慎重論を抑え込み、趙雲、鄧芝を先鋒に北伐を開始
かくして、孔明は、慎重論を抑え込み、北伐を敢行する正統性を得ます。
こうして孔明は、鄧芝(とうし)、趙雲(ちょううん)、魏延(ぎえん)、
馬稷(ばしょく)、王平(おうへい)というような諸将と10万の軍を
率いて漢中に進軍し、いよいよ、秦嶺山脈を越えて魏の領内に入っていきます。
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三国志ライターkawausoの独り言
はじめての三国志基礎知識では、三国志演義に沿って三国志の物語を語っています。
ただ、読者の方には正史の話も知って頂きたいので、大きく正史と演義で、
内容が異なる場合には、赤字で情報を補う事に致します。
あらかじめ、ご了承くださいませ。
本日も三国志の話題をご馳走様でした。
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