キングダムは、原泰久による漫画で、アニメや実写映画など様々なメディアで展開されている大人気作品です。
紀元前の中国春秋戦国時代を舞台に、中華統一を目指す秦王嬴政と、天下の大将軍を目指す少年信の物語を中心に話が展開します。
主な登場人物は主人公である信、秦王嬴政、信の幼馴染で軍師である河了貂、同じく信の幼馴染で暗殺者の一族、蚩尤の村出身の剣の達人羌瘣、そして信を導き天下の大将軍としての理想となる六大将軍の王騎などがいます。
漫画では強力な敵にブチ当たりながら、仲間たちと助け合って困難を克服する信や嬴政の姿が描かれていき、多くの熱心なファンを抱える壮大な歴史エンターテイメントです。
キングダムは2006年に週刊ヤングジャンプで連載が開始され2023年11月17日に発売された70巻で累計発行部数は1億部を突破しているお化けコンテンツであり、その人気は留まるところを知りません。
この記事の目次
- 作品の基本情報(キングダムの物語の概要)
- キングダムの主なあらすじ
- 歴史年表と物語の進行
- 春秋戦国時代の概要
- 第1巻から第10巻まで
- 第11巻から第20巻まで
- 第21巻から第30巻まで
- 第31巻から第40巻まで
- 第41巻から第50巻
- 第51巻から59巻まで
- 60巻から69巻
- 70巻から現在
- 信(しん)と政(せい)の年齢
- 李牧(りぼく)の年齢
- 王騎(おうき)の時代背景
- 羌瘣(きょうかい)の年齢
- キングダムの史実と異なるポイント
- 史実に基づいたエピソード
- 史実の滅亡順と物語の展開
- 三国志とキングダムはどっちが古い?
- キングダムの時代は日本は何時代?
- キングダムの7大国とは?
- キングダムの李信はなぜ李信になったのか?
- キングダムで1番強い将軍は誰ですか?
- キングダムで秦と戦った国は?
- キングダムで人気のある戦は?
- キングダムで一番大きな戦いは?
- 今後の予想と考察(2024年10月時点)
作品の基本情報(キングダムの物語の概要)
キングダムは古代中国の春秋戦国時代末期における戦国七雄の争乱を背景とした作品です。
史上初めて中国を統一を果たした後の始皇帝、秦王嬴政とそれを支えた武将李信が主人公であり、2人を中心に河了貂、羌瘣、壁、王騎、昌文君などの個性豊かなキャラクターが活躍します。
また、李信の率いる部隊である飛信隊にも、尾平や崇原、沛浪、松左など一癖も二癖もあるキャラクターが登場し、時に仲間が戦死するような悲劇を経験しながら、信を天下の大将軍に押し上げようと奮闘する姿が描かれます。その濃厚な人間ドラマが多くの読者の支持を集め2013年、第17回手塚治虫文化賞のマンガ大賞を受賞しました。
キングダムの主なあらすじ
キングダムは紀元前3世紀、500年の争乱が続く古代中国の春秋戦国時代末期を舞台として、中華統一を目指す後の始皇帝第31代秦王嬴政と、その元で「天下の大将軍」を目指す主人公信の活躍を中心に描かれます。
キングダムは2006年より週刊ヤングジャンプで連載が開始され、単行本は70巻を越えますが、2024年12月の段階では史実で秦が滅ぼす事になる、韓、趙、魏、斉、燕、楚の六カ国はどれも滅亡していません。
歴史年表と物語の進行
キングダムにおける歴史年表と物語の進行は以下のような状況です。
年表 | 史実 | 収録巻数 |
紀元前247年 | 荘襄王が死去。嬴政が王位を継ぎ、呂不韋が後見人として相国となる | 1~5巻(王都奪還編) 5~7巻(蛇甘平原編) 8~10巻(刺客急襲編) |
紀元前244年 | 蒙驁が韓を攻め十三城を取る。王齮死す。十月、将軍蒙驁、魏氏の畼・有詭を攻める。 | 10~16巻(馬陽防衛編) 17~24巻(山陽平定編) |
紀元前241年 | 楚・趙・魏・韓・燕の五国合従軍が秦に侵攻。秦軍は函谷関で迎え撃ち、これを撃退した。 | 25~34巻(合従軍編)
|
紀元前239年 | 嬴政の弟、長安君成蟜が軍を将いて趙を撃ち屯留で謀反し討たれる。 | 34~35巻(成蟜の乱) |
紀元前238年 | 魏の垣と蒲陽を攻む。嫪毐の反乱。相国呂不韋が解任される | 35~37巻(著雍の戦い) 37~40巻(毐国反乱編) 41~46巻(黒羊丘編) |
紀元前236年 | 王翦・桓齮・楊端和が鄴を攻め、九城を取る。王翦が閼與と橑楊を攻める。皆并せて一軍と為す。鄴、安陽垣を取る。桓騎が将軍となる。 | 46~60巻(鄴攻略編) 60~62巻(什虎攻略編) 62~64巻(武城・平陽編) |
紀元前235年 | 呂不韋が嫪毐の反乱に関与し自殺。 | |
紀元前234年 | 桓騎が趙の平陽を攻め、趙の将扈輒を殺し首を斬ること十万。十月、桓騎が趙を攻める。桓騎が李牧に破れる。 | 65~69巻(秦趙宜安決戦) |
紀元前233年 | 秦王嬴政が韓非を謁見。 | |
紀元前230年 | 秦が将軍騰を派遣し韓を滅ぼす | |
紀元前228年 | 秦が王翦と楊端和を派遣し趙を滅ぼす | |
紀元前225年 | 秦が王賁を派遣して魏を滅ぼす | |
紀元前223年 | 秦が蒙恬と李信を楚に派遣するが楚の項燕に敗れる。項燕が函谷関まで攻め込むも王翦が60万の大軍で撃破。楚も滅亡。 | |
紀元前222年 | 王賁が遼東に逃れていた燕を攻めて燕王を捕虜とする。燕滅亡 | |
紀元前221年 | 斉が秦の蒙恬、王賁、李信に攻略されて滅亡。秦王嬴政が始皇帝として即位し春秋戦国時代が終結。 |
春秋戦国時代の概要
春秋戦国時代は、紀元前8世紀から紀元前3世紀頃まで、およそ500年も継続しました。この時代の支配者は殷王朝を滅ぼした周の武王が建国した周王朝で、武王に味方した諸侯には、各地に土地が褒美として与えられ、諸侯は国を興して独自に支配していました。
しかし、周王朝は紀元前770年に異民族の侵攻を受け都の鍋京を放棄し東の洛邑に遷都して以後力が衰え、各地の諸侯は周王の命令を聞かなくなり、勝手に領土を奪い合うようになります。これが五百年も続く春秋戦国時代の始まりです。
この戦乱の中で、元々は七百以上もあった大小の国は淘汰され、紀元前403年頃までには、秦、趙、魏、楚、斉、燕、韓の七国にまとまり、戦国七雄として互いに侵略を繰り返すようになります。
この戦国七雄の中で政治改革に成功し強大な勢力を手に入れたのが秦であり、次第に周辺国を併合して中華統一を目指すようになります。
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第1巻から第10巻まで
キングダム1巻から10巻までは、主人公の信が秦王嬴政に出会い、嬴政から王位を奪った異母弟成蟜と秦左丞相・竭氏を倒す事から始まります。主人公信の幼馴染みだった漂は、秦王嬴政と顔がソックリであり影武者として活躍していましたが成蟜と竭氏の反乱で嬴政の身代わりとなり命を落としていました。なんとか逃げ延びた嬴政や信、それに河了貂ですが、味方がほとんどいないので山の民の王である楊端和に助けを求めて協力を得ます。
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その後、嬴政と信は咸陽に舞い戻り、昌文君や壁、そして楊端和と山の民の助力を受けて、王位を奪い返す事に成功しました。王位の奪還から三ヶ月後、下僕から平民の身分に引き上げられた信は天下の大将軍となるため、秦大将軍麃公の配下として尾平や羌瘣などとチームを組んで魏の要衝、滎陽に出陣します。信の歩兵隊は魏の戦車軍団の攻撃に苦しみますが、麃公が全騎兵を援軍に差し向けて危機を脱出します。この戦いで信は百人将に昇格しました。戦いの後、昌文君の協力者が何人も殺される事件が発生。
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刺客は蚩尤と呼ばれる暗殺者集団であり、本当の狙いは秦王嬴政の暗殺でした。その中には信と戦いを共にした剣士羌瘣も含まれていました。羌瘣は戦場で苦楽を共にした信の説得で嬴政の暗殺を諦めて離脱します。窮地を脱した秦王嬴政ですが刺客を送り込んだのが後見人で相国である呂不韋である事を知り驚愕。呂不韋に負けないだけの組織づくりを決意します。その中で河了貂は軍師となるために昌平君の軍師学校に入り、信は旧六大将軍、王騎の指導の下でさらなる修行を積む事になります。
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第11巻から第20巻まで
始皇三年2月、秦大将軍・蒙驁を総大将に20万の軍勢が韓に侵攻。蒙驁軍は快進撃を続け1ヶ月の間に11もの城を落とします。しかし、その隙を付かれ趙国三大天龐煖を総大将とする12万の軍勢が馬央と馬陽に侵攻しました。秦国はそれに対し王騎を総大将、蒙武を副将に10万の軍勢を派遣しました。修行を終えた信に王騎は、特殊百人部隊飛信隊を任せました。
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王騎軍と趙軍は乾原で開戦しますが、秦左軍は趙右軍の将馮忌の策により大損害を受けます。そこへ飛信隊が王騎の特命を受け、馮忌を討つべく趙右軍の側面に突撃。守備隊を突破し馮忌本陣に迫りました。同時に秦左軍の干央と千人将壁が反撃に出たことで本陣一帯は混戦状態となり、信はその隙を突いて馮忌を討ち取ります。一方、中央の蒙武軍の攻撃は一日目こそいなされるも、二日目・三日目と趙に大損害を与えます。これを受けて趙軍は四日目に全軍で蒙武を狙いますが、王騎は全軍総攻撃を仕掛けて趙軍を攻撃。大ダメージを受けた趙は後方の山間部へ退却します。
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その夜、秦軍の夜営地に龐煖が出現して秦兵を襲い、さらに趙将・万極の夜襲を受けます。信は龐煖を倒して戦争終結を狙うも力量不足で失敗、敗走して万極軍の猛追を受けますが、何とか難を逃れ、翌朝再集結を果たします。五日目、王騎は自ら敵将を討ちますが、趙本陣に猛攻を掛けた蒙武が罠に嵌まります。王騎は蒙武軍を救うべく軍を進め趙本軍と対峙。歩兵を囮にして趙本陣に突撃。因縁の相手である龐煖との一騎打ちを繰り広げますが、これは最初から王騎を討ち取るための趙三大天李牧の罠でした。
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王騎は李牧の大軍の存在を察知できず、また背後からの狙撃を受けた一瞬の隙を突かれて龐煖に胸を貫かれます。死を悟った王騎は、信に自らの矛を託しこの世を去ります。目的を達した李牧は撤退命令を出し、多大な犠牲を払った末に、信は武功により三百人将へ昇格しました。
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第21巻から第30巻まで
始皇四年、呂不韋の画策で趙国宰相李牧が秦を訪れ李牧の提言により秦趙同盟が締結されいました。信は王騎の仇である李牧を目の前にして感情を抑えきれず、かならずブッ倒すと宣言します。前線では、信や玉鳳隊隊長王賁、楽華隊隊長蒙恬といった若き将が武功を重ねていきます。一方、咸陽では嬴政陣営の元に嬴政の母太后から白紙の書簡が届く。
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翌朝、政は太后の元へ赴き、打倒呂不韋への協力を頼みますが太后は呂不韋と密通していました。その事実を知った宮女向は大怪我を負いながらも政に伝えます。始皇五年、魏の要衝、山陽一帯を攻略すべく大将軍蒙驁を総大将に20万強の軍勢が侵攻します。対する魏軍は、元趙の三大天廉頗に率いられていました。この時、廉頗は配下の四天王輪虎に命じ、秦の千人将を次々と暗殺させます。人材不足に陥った秦軍は軍を再編成、蒙恬、王賁、信が臨時千人将へ昇格しました。翌日、両軍は流伊平野で開戦。初日は先鋒隊同士の激突は一進一退となるも、廉頗四天王玄峰の策略で秦は大損害を受けます。
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二日目、王翦率いる左軍は魏軍の猛攻で後退しますが、桓騎率いる右軍は奇策で魏軍を翻弄、四日目には桓騎自ら玄峰を討ち取りました。五日目、蒙恬の策で信と王賁が輪虎に襲い掛かり、信の渾身の一撃で輪虎は左手の指を失います。
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秦左軍では壁が敵将を追い詰めますが、敵の策により窮地に陥いりました。そこへ王翦の本隊、さらに廉頗が出現しますが、王翦は後方の砦へ退却しました。六日目、輪虎率いる魏中央軍は秦中央軍へ突撃を敢行しますが、飛信隊に進撃を止められ信と輪虎は一騎討ちを開始。また、蒙驁本陣の背後から廉頗軍が攻め込み、廉頗は蒙驁の策を破り本陣へ到達し蒙驁と一騎討ちとなります。信は死闘の末輪虎を討ち、窮地に陥った蒙驁を救うべく、蒙恬と共に本陣へと急ぎます。
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蒙驁は廉頗に腕を斬り落とされますが、桓騎が魏本陣を落としたことで廉頗は敗北を認めて和睦します。こういして秦は山陽を獲得しました。飛信隊は帰路に付き、その最中に羌瘣は姉同然であった羌象の仇を取るべく、飛信隊を一時離脱。一方、廉頗は魏から楚へ亡命、論功行賞で信は正式に千人将へ昇格しました。それから3ヶ月後、飛信隊は軍略の要たる羌瘣が不在の為に敗戦を続け、再降格の危機に陥ります。しかし、軍師学校を卒業した河了貂の加入により救われ、山陽平定に活躍します。
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山陽平定後、秦は山陽を東郡へ改称すると宣言。その後、飛信隊が対楚前線に送られ、楚の項翼や白麗と一騒動を起こします。同時期、李牧と龐煖が燕に侵攻し劇辛を討ち取りました。咸陽では、絶倫の巨根の持ち主嫪毐が太后の元へ送り込まれ呂不韋陣営が勢力を拡大、呂不韋は相国に就任します。これを受け、嬴政は幽閉していた成蟜一派を解放し呂不韋打倒に協力させました。その後の人事で呂不韋派の昌平君と嬴政の腹心の昌文君が丞相に就任、嬴政は権力を強めていきます。
第31巻から第40巻まで
始皇六年、楚軍が秦へ侵攻、さらに魏・趙・韓・燕・斉の軍が次々と秦に襲い掛かります。これは楚宰相春申君を総大将、李牧を参謀とする六国合従軍でした。秦は蔡沢の計略で斉を離脱させる事に成功。残りの五ヶ国合従軍を迎え撃つべく秦は国内全戦力を動員、両軍は秦国門・函谷関で開戦します。初日、麃公軍は趙軍副将慶舎の罠に嵌まりますが、信の檄で盛り返し激闘。一方、魏軍総大将・呉鳳明は函谷関に巨大井闌車を投入し城壁を乗り越えようとしますが、桓騎が火矢で1台を焼き払います。
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騰軍は楚第一軍と激突してその将を討ち取り、信は混戦の中で万極を討ち取りました。2日目以降、合従軍は、楚第二軍の将・媧燐の献策により主力を温存した消耗戦を続けますが、開戦七日目には韓軍総大将成恢により秦将・張唐が毒の攻撃を喰らいました。開戦十五日目、合従軍全軍による総攻撃が開始されます。秦の蒙武は楚軍総大将・汗明軍に対し斜陣掛けを仕掛け自らも突撃、騰軍は媧燐軍の猛攻に対して王賁と蒙恬を抜擢します。函谷関では魏の呉鳳明の猛攻の中、張唐が桓騎と共に韓本陣を奇襲し総大将成恢を討った後に毒で死にました。この頃、燕軍総大将オルドは函谷関の裏を狙って攻撃を仕掛けるも王翦軍の急襲に遭遇して退却。楚の若き将軍項翼が騰と互角の一騎打ちをする混戦の最中、媧燐本軍が騰軍に突撃を開始します。
媧燐本軍はさらに蒙武を狙うも、蒙武は汗明を一騎討ちの末に討ち取りました。媧燐は函谷関を陥落寸前に陥れますが王翦の機転により函谷関は落ちず、疲労した合従軍は開戦前の位置まで退却しました。秦が防衛線での勝利に浮かれる中、合従軍から李牧が姿を消します。そして、李牧率いる別動隊が函谷関を迂回し、南の国門・武関の内側の城を次々落とし侵攻を開始します。これを察知した麃公軍は猛追を掛け、李牧の守りを破り本陣へ到達。しかし麃公は龐煖との一騎討ちの末に討たれ、信ら残された者は咸陽へ向かいました。その頃、嬴政は自ら出陣、咸陽を守る最後の城蕞で信達と合流。政の檄で蕞の住民は奮い立ち、民兵となって李牧軍を迎え撃ちます。住民たちの奮戦で初日を凌ぐものの、形式だけの夜襲に疲れた民兵は疲弊、籠城二日目には李牧軍の将傅抵とカイネにより窮地に陥ります。しかし、飛信隊が2人を撃破し三日目、四日目も耐え抜きます。
しかし、五日目には住民が限界を迎え倒れていき、嬴政も深手を負う。ここで李牧軍は総攻撃を掛けるも、蕞は全てを出し切り六日目を乗り切ります。しかし、七日目、とうとう城門が突破されますが、そこへ楊端和率いる山の民が現れ形勢逆転しました。信は王騎の仇である龐煖に挑み、手を負わせ龐煖を退かせます。
山の民の援軍により李牧軍は撤退し、秦の窮地は完全に去りました。論功行賞で信は三千人将へ昇格します。そんな中、羌瘣は仇敵・幽連に遭遇し苦戦の末に討ち取ると、飛信隊のもとへ帰っていきました。始皇七年、嬴政の陣営が蕞戦以降勢力を拡大。成蟜の奮闘もあって呂不韋陣営との一進一退の権力争いを続けますが、始皇八年、趙軍2万が秦北東の要衝・屯留に向け侵攻すると成蟜軍は成蟜夫人・瑠衣を救うべく出陣し撃退します。しかし、呂不韋の命令を受けた屯留代官・蒲鶮が成蟜を投獄してその名で反乱を起こしました。嬴政は信じられないと思いながらも壁率いる4万の討伐軍が出陣させ、屯留軍7万と盟平野で激突しますが、そこで呂不韋に通じた趙軍1万の攻撃を受け窮地に陥ります。しかし、そこへ五千人隊となった飛信隊が参戦して趙軍を破り、屯留軍も撤退します。
成蟜は牢から脱獄し瑠衣を救出、蒲鶮からの逃亡を図るも、2人での脱出は困難と考え、瑠衣を逃がして蒲鶮と刺し違えて絶命します。その後、魏要衝・著雍を奪取すべく騰率いる秦軍が侵攻、魏軍は呉鳳明が総大将になりました。秦軍には援軍として、玉鳳隊や飛信隊などが、魏軍には魏火龍七師の霊凰・凱孟・紫伯が派遣されます。呉鳳明の鉄壁の布陣に対し王賁は、録嗚未軍・玉鳳隊・飛信隊の三軍が三日目の正午に魏軍本陣に突入する策を立案、決行されます。初日、信が凱孟と一騎討ちを繰り広げる中、河了貂が敵に拉致を受けます。二日目、飛信隊は捕らえた凱孟の軍師と貂を人質交換、その後で敵前線を突破しました。一方、前日に敵前線を突破した玉鳳隊は紫白軍と激突、王賁は、紫白の槍術と策略を前に敗れました。
三日目、飛信隊が凱孟軍に突撃し録嗚未軍も出陣、王賁は紫白に一騎討ちを挑んでこれを討ち取りました。玉鳳隊と録嗚未軍は魏軍本陣に突入。飛信隊は信を囮として羌瘣が魏軍本陣に突入し陥落させます。そして信が霊凰を討ち取って魏軍は撤退、秦は著雍の要塞化を進めました。その後論功行賞で信と王賁は五千人将に昇格し飛信隊は八千人隊となります。論功行賞の後、咸陽に突如太后が来訪、嫪毐を山陽長官に据えます。また太原に入った嫪毐と太后は毐国の建国を宣言して、秦からの独立の動きを見せます。この機を狙いが秦へ侵攻。膨張を続ける毐国に秦は手をこまねいていました。始皇九年嬴政は成人し、旧都・雍で加冠の儀をおこないます。
しかし、この隙を突いて毐国軍3万が函谷関をすり抜け咸陽へ侵攻、これに対し飛信隊1千と蕞の兵1万が討伐に向かいました。毐国軍が咸陽に突入する一方、加冠の儀を終えた雍では昌平君が呂不韋を見限り、昌文君と共に毐国軍討伐に向かいます。呂不韋一派の妨害で、討伐軍は咸陽防衛に苦戦しますが、神速でやってきた昌平君率いる軍が敵将を討ち反乱軍は撤退、呂不韋との争いが完全に決着しました。その頃、毐国本隊は桓騎軍により粉砕、楚軍も退却して嫪毐は咸陽で処刑されます。ようやく秦の実権を掌握した嬴政は、信に15年で中華統一を成す大構想を明かしました。
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第41巻から第50巻
楊端和率いる山の民が魏要衝衍氏へ侵攻して陥落させます。楚では考烈王が崩御し、過去に合従軍を率いた春申君も李園に暗殺されました。実権を握った李園は、媧燐と共に左右の楚宰相へ就任します。
始皇十年、飛信隊は桓騎軍5万と共に趙の要衝である黒羊丘へ侵攻、総大将慶舎と離眼城主紀彗率いる趙軍7万と対峙しました。この黒羊丘はジャングルで見通しが利かず5つの丘の奪取を両軍は目指します。初日、秦右軍・飛信隊は紀彗の副官・馬呈と劉冬の奇襲に翻弄。一方、秦左軍は慶舎と副官・岳嬰に急襲され敗走するも、桓騎の側近・雷土達は趙軍砦を焼き討ちしました。その夜、飛信隊の副将羌瘣は劉冬の暗殺を図るも失敗、両者共に重傷を負います。
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二日目、飛信隊は川辺に布陣した馬呈軍と対峙、渕副長が命懸けの渡河を成功させ前線を押し上げました。三日目に飛信隊は中央丘の麓に迫り、桓騎の指示を仰ぐも桓騎は一切何もせず1日を終えます。四日目、慶舎が自ら飛信隊に猛攻を掛け慶舎を討つべく桓騎軍が乱入。さらに紀彗が慶舎救出に向かったことで混戦になります慶舎はそこから脱出するも信に捕捉され殺害されました。この時、羌瘣も劉冬を討ち取ります。総大将が討たれた趙は退却を考えますが、紀彗は慶舎副官金毛を説得し徹底抗戦に出て桓騎は軍を中央丘から撤退させました。
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五日目、桓騎軍は黒羊の集落を焼き討ちしその民を虐殺、これを知った信と羌瘣は激怒し桓騎本陣に乗り込み一触即発の事態になります。しかし桓騎は、この虐殺を紀彗に見せた上で、離眼での虐殺を予告し脅迫、紀彗は撤退して秦軍は黒羊丘を占領して勝利を収めます。信は桓騎軍との小競り合いで手柄が帳消しとなり本国へ帰還します。同じ頃、蔡沢の手引きで斉王・王建と李牧が咸陽へ来朝。
嬴政は斉王との会談で「法」で国を治めると語り、それに感嘆した斉王は事実上の降伏宣言をします。一方で嬴政は李牧に「七国同盟」を提案されるも、一時的な平和で意味がないとして一蹴、李牧は中華統一を掲げるなら私は秦を滅ぼすと宣言し咸陽を去ります。
飛信隊は、次の戦いに備えて募兵を行い新兵千人を増員。一方、昌文君は中華統一後の法の作成のため、呂不韋の配下だった李斯を招き入れました。また、昌平君は趙の王都・邯鄲の喉元にある鄴を狙い、趙を滅ぼすプランを提案します。始皇十一年、総大将を王翦に、楊端和・桓騎を各軍の大将にした20万超の連合軍が鄴に出陣します。さらにオルド率いる燕軍が趙へ侵攻しして青歌城主司馬尚と激突しますが、別動隊が燕の城を落としたことで燕軍は撤退します。
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秦軍が趙国門列尾へと進軍する中、李牧は秦の狙いが鄴だと気づ、邯鄲へ急行。秦は、飛信隊と山の民により列尾を半日で陥落させたが、列尾が意図的に弱くしてあることに気付いた王翦は戦略が破綻した事を悟り、鄴を密かに視察。そして列尾を放棄して全軍で攻め込み、手持ちの兵糧だけで鄴を兵糧責めにするという策を練り上げます。列尾を越えた連合軍は橑陽軍を楊端和軍が迎撃、また鄴の手前の9城を陥落させて意図的に難民を鄴に向かわせて桓騎軍が包囲します。そして王翦軍は、李牧率いる閼与軍と朱海平原で激突しました。
第51巻から59巻まで
鄴攻め初日は、蒙恬が趙右軍紀彗軍を翻弄し、そこへ麻鉱軍が猛攻を掛けますが、そこに李牧がワープしてきて麻鉱の首を斬り、左軍は崩壊寸前となりますが蒙恬は麻鉱軍を立て直し、その功績から臨時将軍に昇格。秦左軍の将となります。二日目、秦右軍の玉鳳隊は元藺相如十傑の趙峩龍と岳嬰の挟撃を受けますが、王賁は李牧副官馬南慈軍に突撃し、亜光軍と挟撃を掛け大打撃を与えました。
三日目、秦右軍へ合流した飛信隊は藺家十傑・尭雲と対峙、互角以上の戦いを繰り広げます。李牧は、鄴の兵糧が秦軍より多いと判明すると長期戦を目論み戦局は膠着します。九日目、秦右軍は痺れを切らし飛信隊・玉鳳隊の両隊で岳嬰を挟撃しますが、尭雲と馬南慈の攻撃で亜光が意識不明の重体となります。なんか亜光、王翦軍最強の割に毎回のように怪我して足手まといですね。亜光救出のため玉鳳隊が離脱する中、信は岳嬰を一刀両断にしました。一方楊端和軍は遼陽軍を圧倒しますが、李牧副官舜水樹が到着すると趙軍は橑陽城まで撤退。それを追いかけた楊端和軍に橑陽城城主ロゾ率いる犬戎族が加勢膠着状態に陥ります。しかし、二日目の夜、援軍に赴いた壁が預かる兵糧が焼かれ兵糧が尽きかけた八日目の夜、楊端和は明日でロゾの息子の犬戎三兄弟を討つと宣言します。
九日目、三軍主攻の総攻撃によりロゾの息子達を討ちとる楊端和軍ですが、敵の反撃で軍は散り散りになります。楊端和は執拗に狙われますが、バジオウが命を懸けて楊端和を守り、その隙に別働隊の猿手族が橑陽城を陥落させ、最終的にロゾを壁が討ち取りました。残存の犬戎族を従属させた楊端和は、橑陽城を接収します。敗北した舜水樹は、秦軍の退路を断つべく列尾へ転進し完全に兵糧を断ちます。その頃、亜光不在の秦右軍は本陣からの指示も無く兵糧も尽きかけ、絶望的な状況に陥る。そんな中で十二日目、隊長からの渾身の檄により覚醒した飛信隊と玉鳳隊は趙左軍を圧倒、大きく後退させます。しかし十三日目、尭雲が玉鳳隊に奇襲を掛け、王賁は尭雲の右腕を粉砕するも重傷を負わされました。その夜、秦右軍では信を大将に据える決断をする一方、鄴では避難民に紛れた王翦の兵により兵糧の殆どが焼失します。十四日目、飛信隊は決死の突撃の末に趙峩龍を討ち取ります。十五日目、李牧は鄴での一報を受け攻勢に転じ、王翦軍と激戦を繰り広げます。その間秦右軍は、王賁が尭雲を討ったことで趙左軍を突破し李牧本軍へ挟撃を仕掛けました。
趙軍も傅抵と馬南慈が王翦本軍に挟撃を仕掛けるも、そこへは王賁と蒙恬が駆け付け阻止します。さらに飛信隊が金毛を討ち李牧の目前にまで迫るも、そこへ龐煖が立ちはだかります。信は龐煖と一騎打ちを繰り広げ、その最中、龐煖のあまりにワケワカラン人類救済策が明らかにされます。この時、作者はなんだかテンションがおかしかった模様で、信と龐煖の死闘を見ていた両軍兵士の左目だけから涙が落ちるというスピチャ展開になります。なんだかんだで信は死力を出し尽くした末に龐煖を討ち取りますが、信の魂が抜けてあの世に向かい、それを巫女でもある羌瘣が寿命の半分を使い現世に連れ戻すというスピリチャル展開がありましたが、現在のキングダムでは無かった事にされているっぽいです。龐煖を失った李牧は朱海平原から撤退し全軍で鄴へ向かいます。
王翦軍は精鋭部隊で李牧を追撃、李牧軍は幾度も足止めされます。一方鄴では兵糧不足により暴動が発生。それにより十八日目に内から城門が開き、突入した桓騎軍によって鄴は陥落します。鄴へ入城した秦軍にも兵糧はありませんでしたが、王翦の奇策で斉から兵糧を買い入れて黄河を輸送し問題は解決、更に騰軍が列尾へ進攻しました。列尾を守備する扈輒将軍は李牧が敗戦の責任で投獄・斬首になると知ると全軍を邯鄲へ撤退。こうして秦は趙王都圏南部を獲得します。咸陽に凱旋した信は政から李姓を与えられ、「李信」と名乗ります。そして論功行賞では、蒙恬や王賁と共に将軍へと昇進しました。
60巻から69巻
一方邯鄲では李牧救出を目論む者と阻止しようとする者が入り乱れ内乱状態が発生。そんな中、アホの悼襄王が毒殺されます。次の王である公子嘉は李牧を解放しますが、悼襄王は最後の嫌がらせで、自分に輪をかけたアホでサディスト末っ子、公子遷を次期趙王としていました。李牧と嘉は遷の派閥に命を狙われ邯鄲を脱出。その後、李牧らは嘉と別れ司馬尚がいる青歌城へ走ります。始皇十二年、秦では河南に隠居した呂不韋の元に不穏な勢力が集結。
これを受け嬴政は呂不韋と対談するが状況は悪化、咸陽は処罰を下すも呂不韋自殺の知らせが入ります。鄴攻略後、秦軍は邯鄲攻略を目指しますが、趙の兵力はインフィニティであり防衛線すら抜けません。そこで昌平君は魏へ楚の要衝什虎城を合同で落とし、その後什虎を魏へ譲渡することで3年間の同盟を打診します。こうして蒙武は什虎へ向けて進軍、それに対し亡国の残党で構成された素っ裸でマージャンする変態集団什虎軍が出陣します。両軍は月地平原で激突します。そこへ援軍の騰軍や楚の項翼、白麗軍、同盟を了承した呉鳳明率いる魏軍が次々と参戦します。戦いは秦軍、魏軍が楚軍を挟撃しますが楚軍を崩れず、呉鳳明は秦軍を主攻、魏軍を助攻とします。
それにより秦魏軍が優勢になり、蒙武は什虎軍総大将満羽と一騎討ちし、騰軍が楚軍の本陣を落としたことで勝利。什虎城も魏軍別動隊により陥落し楚軍は王都郢へと退却します。秦魏同盟締結後、魏は韓への侵攻を開始、秦は趙への侵攻を強めます。前線では楽華軍・玉鳳軍が活躍する一方、飛信隊は劣勢が続きました。そんな中、現蚩尤の羌礼が飛信隊に加入しますが、加入目的は羌瘣を殺すことでした。親友を殺した事で闇落ちした羌礼は羌瘣に果たし合いを挑み、羌瘣は羌礼を闇から救いだし、羌礼は飛信隊に正式加入し、飛信隊は再び躍進します。始皇十三年、秦で六大将軍が復活し、蒙武、騰、桓騎、楊端和、王翦が任命されます。そして六将となった王翦・楊端和・桓騎が武城・平陽の攻略を目指し出陣した。桓騎軍8万は趙軍に猛攻を仕掛けますが、左軍が険地、影丘に差し掛かりほぼ壊滅、玉鳳軍もそこへ呼ばれますが、苦戦を強いられます。更に趙軍総司令扈輒も桓騎の元へ向かい、桓騎軍は扈輒軍24万と激突するも劣勢が続きました。
八日目、飛信隊は壊滅状態の玉鳳を救出し、扈輒側近で仏のような外見の岳白公軍と対峙、王賁の助言で影丘の断崖の攻略に出ます。九日目、飛信隊が断崖に到達し登りきる一方、右軍の雷土は敵将を討つも捕虜となり、扈輒の変態的拷問を受け体をバラバラにされ死亡します。桓騎軍は右軍、中央軍共に逃亡者を多数出しながら退却を続ける中、左軍の飛信隊は岳白本陣に向け突撃、李信は大仏君岳白を一騎討ちで討ち取ります。ぶっちゃ~ん!影丘を攻略した飛信隊は、扈輒本陣に向け進軍して守備隊と激突します。その隙を突き、大勢で死んだフリをしていた桓騎軍伏兵がにわかに起き上がって扈輒本陣を急襲、脱出した扈輒を討ち取りました。その後、数万の扈輒軍が投降するが、桓騎は雷土を殺された報復感情もあり彼らを皆殺しにします。それを知った嬴政は激昂し自ら桓騎を尋問するも責任については不問としました。一方、趙では扈輒討死を受け、郭開が李牧を呼び戻しました。
始皇十四年、秦軍は武城と平陽を陥落させますが、邯鄲の南には長城が李牧により築かれ、突破は不可能になっていました。秦の最高司令官昌平君はこれを知ると、趙北部の要衝宜安の攻略を計画し、王翦軍と桓騎軍に長城を迂回し北上させ、また秦北東部で20万の大軍を興して両軍の元へ向かわせます。王翦軍は宜安の途上にある閼与を攻略するも、桓騎の虐殺で秦を恨む趙兵の攻撃は苛烈で多くの犠牲を出し離脱します。一方、秦北東部軍は青歌軍の奇襲で多くが敗走するも、5万が残り桓騎軍に合流しました。桓騎は退却ではなく、そのまま進軍する事を決定、秦軍14万は宜安に向け東進、赤麗を奪取します。しかし宜司平野で李牧率いる趙軍31万に包囲攻撃を受け全滅の窮地に陥ります。
これを打破すべく、右翼の飛信隊は左翼の楽華軍の元へ移り共闘し包囲からの脱出を図ります。飛信隊と楽華軍は青歌軍と激突して激戦の末に包囲を突破します。一方桓騎は、ハッタリで未知の陣形を築いて時間を稼ぎ、闇夜に紛れて包囲から脱出しました。包囲から脱出した飛信隊と楽華軍は桓騎軍の別働隊と合流、夜明けに桓騎軍の井闌車を用いて宜安城を攻略しそこへ桓騎が入城します。一方赤麗には包囲から脱出した壁を含め多くの兵が入城するも、住民が井戸に毒を放り込んでほぼ全滅、壁は生き残るも捕虜となり強制労働を科されます。赤麗を取り戻した趙軍は宜安に向け進軍しますが、既に秦軍は消えていて、その行先が肥下だと判断した趙軍は虐殺を恐れてバラバラになって進軍します。
桓騎はその隙をつき。少数の李牧本陣に奇襲を掛けました。さらに楽華と飛信隊は李牧救援に向かう趙軍の足止めを図ります。桓騎は李牧を幾度も追い詰めるも及ばず、そこに趙の援軍が殺到して形勢が逆転、桓騎軍は趙軍に包囲され、楽華と飛信隊も脱出に動きます。桓騎軍は李牧と刺し違えるべく突撃するも、あと一歩及ばず全滅、桓騎は討死し、同様に全滅した仲間の魂と故郷の土地に帰っていきます。楽華と飛信隊は趙北部から脱出しました。
70巻から現在
李牧に敗北した嬴政は秦の支配をより強化すべく、韓の公子で思想家韓非を秦に呼び寄せます。しかし韓非は招聘に応じつつも同時に秦の情報を韓に流すスパイでした。その事を察知した李斯は、韓非を問い質そうとしますが、韓非はすでにスパイ容疑が掛かっている事を悟り自殺していました。
秦では、さらなる趙攻撃のために王翦と楊端和、そして飛信隊と玉鳳軍と楽華軍などの面子を揃え、前年に桓騎を撃ち破った李牧に挑みます。しかし、秦軍は致命的な情報不足を抱えていました。それは李牧が味方に引き込んだ青歌軍とその総大将である司馬尚の戦闘力です。李牧は、この戦いでの最大の不確定要素である飛信隊を王翦本隊から引き離す為に自分を囮としておびき出し、ボロい砦に籠って防戦します。李信は李牧を殺せば戦いは終わりだと躍起になって砦を攻めますが、その間に李牧は、青歌兵を王翦本陣へ向かい突撃させます。司馬尚とジ・アガ、カン・サロは尋常ではない強さであり、王翦本陣は次々と防衛線を突破され、遂には王翦自身が陣を逃げ出します。
本陣が崩れた事で秦軍は呆気なく崩壊しますが、楊端和軍の別動隊のキタリが、壁を救出すべく、番吾城を攻めて陥落させ、僅かに生き残っていた秦の捕虜と壁を救い出す事に成功しました。飛信隊も玉鳳軍も王翦個人もなんとか逃げ延びる事は出来ましたが、この戦いで秦は20万の兵力と亜光、田里弥を失い青歌軍はジ・アガを失います。李牧相手に二度も大敗した秦では中華統一どころではなく、咸陽では、ガタガタになった国力をいかに建て直すかが話し合われる事になりました。
信(しん)と政(せい)の年齢
信と嬴政の年齢については、後の始皇帝である嬴政が紀元前259年とされているので、キングダムにおける現在である紀元前230年で考えると29歳という事になります。
信については年齢が分かるような文献的史料は一切ありませんが、若い将軍であったという事から考えると、やはり嬴政と同じ年齢くらいだとして20代後半と考えた方がよいと思います。
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李牧(りぼく)の年齢
李牧の年齢について明確な記載はありませんが、北方の雁門で長期間国境守備隊の長官をしていた事が記録に出てきます。
李牧は匈奴の挑発についても一切応じずに城門を閉じて固く守っていましたが、ある時、匈奴が李牧を侮っている事を見て取ると待ち伏せして10万騎の匈奴兵を葬ったとあり、その後匈奴は十年以上も雁門を襲わなかったとされるので、30歳くらいで雁門の長官になったとして20年務めたと見ておよそ50歳。
その後、紀元前243年に悼襄王の命で燕を討ち、武遂や方城などに侵攻したとあるので、紀元前230年の年齢は63歳くらいではないでしょうか?いずれにせよ、漫画の李牧は史実よりかなり若く描かれている可能性があります。
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王騎(おうき)の時代背景
王騎についても、その年齢は全く不明です。記録では紀元前246年に秦王嬴政が即位すると、蒙驁や麃公らと共に将軍に任じられたとされています。しかし、王騎の活躍の記録は、ほとんどなく、紀元前244年に同僚の蒙驁が韓を攻め13城を取るも同年に死没とあるだけです。
そのため王騎については、同時代に活躍した王齕と同一人物であるという話があります。こちらの王齕は紀元前260年の有名な長平の戦いでも秦の白起と共に従軍しています。キングダムでは、王騎が長平の戦いに従軍して、趙の将軍、趙括を一刀両断するシーンもあるので漫画では王齕と王騎の事績をミックスしている様子が見えます。一方、キングダムで王齕は昭襄王時代の六大将軍としても描かれていて、中々複雑な時代背景になっています。
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羌瘣(きょうかい)の年齢
羌瘣については年齢ばかりか、どこの出身でいつ頃死んだのかさえ不明です。記録に出てくるのは、紀元前229年に王翦、楊端和と共に趙を攻めたという事と紀元前228年、王翦と共に趙の幽繆王を東陽で捕らえて趙を滅ぼした事です。
羌瘣は、さらに兵を率いて燕を攻めんと中山に駐屯したという記録を最後に歴史から消えています。そもそも、いつ将軍に任命されたのかさえ不明で、実働年数も2年しかありません。年齢については不詳だとしか言えません。ただ、キングダムと違い女性ではないと思われます。
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キングダムの史実と異なるポイント
キングダムは史実の春秋戦国時代を扱っていますが、読者に感情移入してもらわないといけない都合もあり、全てが史実通りではありません。
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最大の違いは本作の主人公の1人でもある秦王嬴政の性格です。キングダムの嬴政は中華統一の為に厳しい決断を下す事もありますが、基本的には民にも部下にも優しく全体的に慕われている名君ですが、実際の秦王嬴政は猜疑心の塊であり、恨みを抱いた相手には徹底的に復讐しています。
例えば、紀元前228年に趙を滅ぼした嬴政は、自らの足で邯鄲に向かい、幼少期に自身と母に辛くあたっていた人間を探し出すと全て生き埋めにして殺し咸陽へ帰還しています。主人公である信も漫画では、下僕出身ですが、史実では下僕であったとの記述はなく、若くして将軍の地位についた才能あるエリートであったようです。
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また、これはエンターティメントである以上仕方ない事ですが、史実の春秋戦国時代では女性が軍師になったり、将軍となって一軍を率いるようなケースは極めて例外的なケースを除いてありません。つまり、河了貂や羌瘣、楊端和のような漫画を彩る女性キャラは創作です。また、キングダムでは主人公信の師匠のような存在の王騎も、史実においては僅か二行程度の記述しかなく、多くの部分は漫画の創作です。
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史実に基づいたエピソード
キングダムの史実に基づいたエピソードとしては、秦の将軍白起による長平の戦いでの敵兵40万人生き埋めがあります。
この時、白起は少年兵240人だけは若いという理由で助命していますが、キングダムではこのエピソードを巧みに使い、万極という少年兵の生き残りを登場させています。万極は秦を恨み、秦人を皆殺しにする事を夢見ているヤバいヤツですが、この設定の元ネタは長平の戦いという史実にあるのです。
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また、桓騎が投降した10万人の趙兵を斬首したというエピソードも実際に登場します。ただ、これは桓騎が特別残忍・残酷というわけでもなく、当時の記録を見ていると、敵兵を溺死させたり、首を斬ったりして数万単位が殺戮されるケースはよくあります。キングダムでは、これらのショッキングなエピソードを上手く使い、漫画にドラマ性を加えるのが上手です。
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史実の滅亡順と物語の展開
史実における六国の滅亡の順番は以下の通りです。
紀元前230年 | 秦が将軍騰を派遣し韓を滅ぼす |
紀元前228年 | 秦が王翦と楊端和を派遣し趙を滅ぼす |
紀元前225年 | 秦が王賁を派遣して魏を滅ぼす |
紀元前223年 | 秦が蒙恬と李信を楚に派遣するが楚の項燕に敗れる。項燕が函谷関まで攻め込むも王翦が60万の大軍で撃破。楚も滅亡。 |
紀元前222年 | 王賁が遼東に逃れていた燕を攻めて燕王を捕虜とする。燕滅亡 |
紀元前221年 | 斉が秦の蒙恬、王賁、李信に攻略されて滅亡。 |
一方でキングダムの物語の展開ですが、2024年10月時点において、紀元前230年になっていて、韓の王都である新鄭をいよいよ攻めるという流れになっています。ここから考えるとキングダムは史実の順番に沿って六国を滅ぼしていくと考えられます。
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三国志は、3世紀で今から1800年前、キングダムは紀元前3世紀で今から2200年前です。なのでキングダムのほうが時代が古い事になります。
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キングダムの時代は日本は何時代?
キングダムの時代の日本は弥生時代から縄文時代晩期となります。
日本には春秋戦国時代に中国の長江以南や朝鮮半島から戦乱を避けて多くの人々が船で移住してきた歴史があり、その中で稲作や稲作に必要な灌漑などの技術がもたらされました。
しかし、東日本では、そこまで稲作が広がらず狩猟採集の縄文時代が続いていた地域もあります。
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キングダムの李信はなぜ李信になったのか?
キングダムの主人公である信には当初、名前だけで氏がありませんでした。これは信が戦争孤児であると同時に下僕で、最初の頃は兵になる資格すらなかった事に関連しています。春秋戦国時代、下僕には人格は認められず主人の所有物でした。
そのため識別の名前だけあればよく、自分の来歴を示す氏など贅沢だという事で下僕には氏が与えられなかったのです。しかし、中国においては庶民以上は氏を持つのが当たり前で、信も手柄を重ねて将軍に昇格する以上、氏を決めないといけないとして秦王嬴政は信に氏を決めるように促します。
氏など考えた事がなく悩む信ですが、嬴政の身代わりになって死んだ幼馴染の漂が嬴政が偶々、李(スモモ)をかじっている様子を見て、李漂と名乗ったと聞くと、信も俺もそれでいいとして李信と名乗る事になりました。
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キングダムで1番強い将軍は誰ですか?
キングダムは18年間も連載している漫画で、登場人物が変化していきます。そのため、2024年現時点で一番強い将軍で考えてみると以下の5人が有力です。
功績 | ランク | |
李牧 | 趙の最高司令官であり、過去に王騎を討ち取ったのみならず、最近では司馬尚とタッグを組んで不敗の王翦を完膚なきまでに叩き潰した。知略だけでなく武力もかなり高く不意打ちとはいえ、王翦の右腕だった麻紘を瞬殺した。 | ☆☆☆☆☆ |
騰 | 現、秦国六大将軍、王騎の副官として登場するが、王騎の死後に軍団を継承する。武力と知略を合わせ持つオールマイティな人物。桓騎や王翦など浮き沈みの激しい六大将軍の中で、最も安定した戦いぶりを見せており、呉鳳明は秦で最も警戒すべき将と語る。 | ☆☆☆☆☆ |
王翦 | 秦国六大将軍、「勝てない戦いはしない」を信条とし勝ち目がないと見るや兵を引く事を厭わない臨機応変な人物。鄴攻めにおいては避難民を鄴城に送り込んだり、兵士を避難民に紛れ込ませるなどして兵糧庫を焼き払った。自軍の兵糧が欠乏すると同盟国の斉から黄河を通じて輸送させる知略を披露した。しかし、第二次趙北部攻めで司馬尚に大敗。朝廷の信望を失い謹慎中である。 | ☆☆☆☆ |
桓騎 | 秦国六大将軍、元野盗である事を活かした神出鬼没な戦い方を得意とし、自ら敵本陣に侵入し敵将を討つ事もある。敵の心理を読み、弱点を掴む事に長け、黒羊丘の戦いでは、村を焼き払い住民を虐殺すると脅して、趙の紀彗を戦わずに退却させた。一方で民間人も敵兵も無差別に残忍な方法で殺害するなど、問題も多く、第一次趙北部攻略戦では李牧に奇襲を仕掛けるも一歩及ばず討死する。 | ☆☆☆☆ |
楊端和 | 人呼んで「山界の死王」秦の辺境の山岳地帯に住む仮面の部族、山の民を率いる女性将軍。美しい容姿とは裏腹に苛烈な戦い方を得意とする。個人の武力は当然ながら、率いている山の民は1人で秦兵10人分の働きをこなし死を恐れない勇者揃いでもある。苛烈な戦い方と対照的に味方に対しては情深く、合従軍により咸陽が陥落しそうになった時は、敵との戦いを投げだし領地を失ってまで救援に駆け付けた。第二次趙北部攻めでは、総大将王翦の壊滅の報を受けて退却するが、余力を残していて趙軍の追撃を振り切り、悠々と帰還した。 | ☆☆☆☆☆ |
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キングダムで秦と戦った国は?
漫画キングダムにおいて、秦が交戦した国は、魏、趙、楚、韓、そして燕があります。燕については秦と国境を接していませんが合従軍編では、燕の将軍のオルドが合従軍に参加して函谷関攻めに登場しています。
一方で斉は秦と国境を接していない事と、斉王健が秦王嬴政の中華統一の理想に共感している事から、これまで秦と戦った事はありません。斉王以外で登場しているのは、大将軍の岩茂、史実にも登場する顔聚。そして田赫の3名と回想シーンで登場する過去の斉の名将、孫臏だけです。
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キングダムで人気のある戦は?
キングダムで人気のある戦は函谷関の戦いで合従軍編とも呼ばれています。コミックスで25巻から 34巻まで続く長い戦いで、戦国七雄と呼ばれる7か国のうち楚、趙、魏、韓、燕の5か国が総勢50万の大軍で秦の国門である函谷関に攻め込みます。
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この合従軍偏に人気があるのは、キングダムに登場する呉鳳明や媧燐、李牧、龐煖、オルド、項翼のようなライバルがオールスターで登場し、秦からも人気のある信、王翦、桓騎、騰、麃公、王賁、蒙恬が登場して戦いを繰り広げる点にあります。
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キングダムで一番大きな戦いは?
キングダムで一番大きな戦いは紀元前260年に秦と趙の間でおこなわれた長平の戦いです。この戦いは春秋戦国時代最後のハイライトとも呼べる戦いで、この戦いに大敗した事で秦に唯一単独で対抗できた趙は没落していく事になります。
この戦いでは秦が50万人、趙が45万人の兵力を動員したと記録され、合計で95万人、両軍の兵士が地面を踏み鳴らす音で、邯鄲の家の瓦が振動したとも言い伝えられています。
また長平の戦いは戦死者も桁違いで秦が20万人の兵力を失い、趙は25万人が戦死した上に、20万人が投降後に秦の白起により生き埋めにされたとされています。
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今後の予想と考察(2024年10月時点)
キングダムは2024年10月の時点で、812話連載され、現在は騰軍と飛信隊が総勢16万人の軍勢で韓の都、新鄭を攻める直前です。今回の戦いでは秦が無血開城させた南陽の動向がカギを握ると考えられます。新鄭の守備兵は17万であり、将軍は洛亜完である事から、豊富な物資を頼りに籠城に出ると考えられます。そこで、騰軍と飛信隊は南陽に残している守備兵を引き抜いて新鄭を攻める事になり、南陽からは秦の兵士がいなくなります。しかし、これまでに南陽では秦人と韓人の融和が進んでいる事から、秦軍が城からいなくなっても南陽の住民は韓に寝返らず、逆に自分たちで民兵を組織して自分の城は自分で守ろうと行動を起こすのではないかと考察します。おそらく趙や魏の兵は南陽住民を秦の支配から救う事を名目に軍を派遣すると考えられますが南陽が救援を拒否して、秦軍を守る事で新鄭が陥落すると考えられます。
—熱き『キングダム』の原点がココに—