三国志の徐州争奪戦が何だかややこしい!仁義なき徐州争奪戦を分かりやすく解説

この記事の目次

西暦195年、劉備、ヒットマン呂布を義弟にする





呂布 VS 曹操

 

そんな頃、兗州のシマでは、曹操がようやく、自分に反抗した張邈(ちょうばく)

をシメて、ショバを回復したとこじゃい、呂布は曹操に追われ、ようやく手に入れた

シマを手放して、劉備親分が頭を張る、徐州で草鞋(わらじ)を脱いだ。

 

表情 呂布02

 

呂布「劉備の兄貴、わしを使ってもらえりゃ、後漢組の復活も夢ではないっちゃ!

兄弟の盃(さかずき)を交わしてくれんかのぅ?」

 

劉備親分は、、、

 

表情 劉備02

 

(こいつ調子ええのぅ、、じゃけんど、こいつが董卓のタマ獲ったのは事実じゃ

ドンパチも強い、まあ、ここは呂布のケツが軽いのには目をつぶらい・・)

 

と呂布を手下に入れてしまった、これが大間違いの元じゃった



劉備親分、袁術とドンパチ、呂布が裏切る

朝まで三国志 劉備 呂布

 

西暦196年、袁術は、徐州のシマを求めて劉備親分とドンパチを始めた。

じゃが、その真っ最中に呂布が徐州の州都、下邳(かひ)を奪って独立してしまう。

劉備親分は激怒して呂布親分をバラそうと思うが袁術と呂布を同時に敵にはできん・・

 

朝まで三国志 劉備

 

涙を飲んで、呂布親分に詫びを入れ、今度は自分が舎弟になった。

屈辱じゃが仕方がない、人を信じるのも場合によりけりじゃのぅ

 

袁術の最後

 

袁術は、呂布親分が徐州のシマを奪ったのを恐れて、計略で呂布のタマ(生命)を

獲ろうとするがこれは失敗しちょる。

 

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袁術と呂布、縁組を行う

袁術 呂布

 

呂布親分を殺るのに失敗した袁術は、今度は自分の息子を呂布の娘に

やるっちゅう縁組を提案してきた。

 

呂布にしても、敵は少ない方がいい、これを受け入れる事にする。

これで気を良くした袁術は、小沛という、徐州のシマの一角に間借りして、

シノギをしておった劉備にドンパチを仕掛ける。

 

表情 呂布01

 

これで劉備、万事休止かと思ったが、劉備が消されると袁術が

今度は自分を狙うかも知れんと考えた呂布親分は、単身で袁術組の若衆、

紀霊(きれい)の前に乗り込んで啖呵を切りドンパチを止めさせおった。

男やのぅ、呂布親分~♪

 

劉備、シマ(徐州)を取り返そうとして呂布に返り討ち

朝まで三国志 劉備

 

もっとも、呂布親分に助けられた劉備は、なんも感謝なんぞしとらん。

 

劉備「呂布のクソダボがァ、、今にみちょれィ!!」

 

劉備は、手下の縻竺(びじく)が家敷叩き売って造った金でチンピラを雇い、

呂布親分のアジトの下邳を突こうとしたんじゃが、これは呂布親分にばれた。

 

表情 呂布03

 

呂布「玄徳のジャリィ・・紀霊に素巻きにされるのを助けてやった恩義も

忘れくさりおって、オドレぇ、サクッと殺ったるけぇのぅ!」

 

呂布親分は、兵隊連れて劉備のシマの小沛にカチ込んで、劉備は

この間まで敵対しておった、兗州の曹操のシマに落ちのびたんじゃ

これで、陶謙親分から、徐州を任された劉備は追い出されて代わりに

ヒットマン上がりの呂布が徐州の首領(ドン)になったっちゅうこっちゃ。

 

仁義なき徐州争奪、袁術vs呂布

呂布 最強 曹操

じゃが、シマ(徐州)を巡るドンパチはまだ終わらん、、

今度は、呂布親分が、揚州の袁術親分の所と纏めておった縁談を一方的に

蹴ってしまったんが原因じゃ・・

 

最初こそ、呂布親分は、

 

「元は、後漢組の若頭の袁術の叔父貴んとこと縁組できるんじゃ、

鉄砲玉上がりのワイには、過ぎた縁談じゃあ」

 

と大乗り気じゃったが、組の古株の陳珪(ちんけい)がケチをつけた。

 

陳珪「組長、あんた、李傕、郭汜に追われて、中原を逃げ回っておる時、

袁術が、わしらに冷たく当たったんを忘れてしもうたんかの?

それに、袁術は後漢組を見限って、仲(ちゅう)組とか言う新しい組を立ちあげて

恩知らず言われて、組長連からは嫌われとるお人ぢゃ

あんなんと縁組なんぞ、敵を増やすだけと違うかのぅ?」

 

表情 呂布02

 

呂布「陳の字、ほいじゃあ、おどれは、わしにどうせぇ言うんじゃい?」

 

陳珪「ほじゃから、今は、後漢組を取り仕切っとる曹操に付く方が得じゃ

まだ、後漢組は中華全域を代表する金看板じゃけんのう」

 

呂布「ほうかぁ、、陳の字の言う通りじゃ、おい袁術のトコから来た

若い衆はシメちめえ、今日から曹操に鞍替えじゃあ」

 

縁談を反故にされた袁術、徐州にカチ込み!

袁術 呂布

 

もちろん、治まらないのは袁術親分じゃ、格下と思っておった、

元、ヒットマンの呂布に、一方的に縁談を蹴られたんじゃけの

 

袁術「呂布、、鉄砲玉崩れが、ようも、わしの顔に泥をかけよったのう・・

上等ぢゃい、徐州のシマ荒らして、ペンペン草も生えんようにしたる!」

 

袁術は組の総力を挙げて、徐州にカチ込んだんじゃが、族あがりの

楊奉(ようほう)・韓暹(かんせい)が陳珪の計略に乗って、袁術を裏切り

形勢は逆転した。

 

袁術は、徐州を取るのを諦めて、揚州に引き上げたんじゃ・・

 

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西暦198年、復讐の劉備、徐州のシマに戻る

劉備 曹操

 

一度は敵に回した曹操の組で草鞋(わらじ)を脱いだ劉備じゃが、

曹操は意外にも、あっさり、劉備を受け入れてしもた。

 

曹操「玄徳ぅ、えらい御苦労やったのう、、まあ、昔の因縁は水に流して、

ワシを兄とも父とも頼って、いつまででも、ここにいたらええわい」

 

この頃の曹操は、西暦195年には、李傕・郭汜の元から夜逃げ同然で、

逃れてきた後漢組の若組長、献帝(けんてい)を自分のシマの許(きょ)に迎え、

事実上、後漢組の組長代行も同然じゃった。

元は、金持ちのヤンキー上がりが、馬鹿泳ぎをしたもんじゃのう

 

劉備「孟徳の兄ィ、、昔の因縁も水に流してもろて、この玄徳、、なんと

言えばええか、言葉もないわい、、せめて精一杯、後漢組に尽くさせてもらいまっさ」

 

劉備は、そげん殊勝な事を言っておったが、裏では若組長を軽く見る、

曹操に腹わたは煮えくりかえっておったんじゃ

劉備、見かけによらず、おどれ、役者やのぅ~♪(どおくまん風)

 

曹操は、呂布が持っておる徐州のシマに未練があった、、

ほいで、劉備に兵隊を仰山つけて、再び、徐州の小沛に送り込んだんじゃ

 

そりゃあ、劉備にとっても願ったりかなったりじゃ、

 

劉備「待っちょれ呂布!首っ玉引っこ抜いてみせるけんのぅ!」

 

劉備は小沛に入り、呂布組に入って好き放題しとった楊奉と韓暹を

ブチ殺してしもうた。

 

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西暦198年、袁術と呂布、同盟して劉備を討つ

袁術 呂布

 

これに慌てたのは呂布親分じゃ、節操もなく一度ならずドンパチやらかした

袁術と再び、盃(さかづき)かわして挟み撃ちを防ぐと同時に若頭の

高順(こうじゅん)を劉備のシマの小沛にカチこませた。

 

夏侯惇

 

劉備は、曹操に援軍を求めて、曹操からは同じく魏組の番頭格の

夏候惇(かこうとん)が出たが高順に勝てんかった。

劉備は、また、シマを奪われ、曹操のシマに逃げていったんじゃ・・

しかし、劉備、ドンパチ弱いのぅ・・

 

曹操親分、徐州にカチ込んで、呂布親分を殺る!

曹操

 

じゃが、弟と頼む劉備と義弟の夏候惇を追い払われた曹操が黙っているわけがない。

 

曹操「おどれ!呂布、後漢組の金看板背負っとる わしに逆らうからには、

覚悟は出来てるんじゃろうなぁ?おおぅ!!」

 

呂布 あっけない 最後

 

呂布親分は奮戦するが、とうとう勝てず曹操に捕まってしまったんじゃ・・

それでも、今度も見苦しく

 

呂布「親分さん、わしとアンタが手を組めば、中華は皆、あんたのもんになる

わしの盃を受けてくれんかいのぅ?」とすり寄った呂布じゃけんど、

 

今度は、劉備が曹操に、呂布親分の悪行を並び立て、さしもの呂布も、

ここで曹操にタマを獲られてしもうた。

西暦198年じゃから、2年程度の徐州の首領(ドン)じゃった事になるの・・

 

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劉備、曹操をブチ殺す謀議に加わり失敗し逃亡

曹操

 

こうして、徐州は曹操のシマになってしもうた、曹操は呂布のタマを獲って

得意絶頂じゃ、劉備を義兄弟にしてしもうて、どこにでも連れていき、

 

曹操「玄徳はわしの弟も同じじゃい! この世に真の極道(きわみち)と

言えばわしと玄徳位よ、北で頭張っとる袁紹なんぞ、ウスノロのカスじゃき!」

 

と毎日、吹いておった。

 

じゃが、劉備は表面上は、曹操に従っていたけんど、腹は煮えくり返っとる。

また、徐州にもバリバリに未練があったんじゃ。

 

劉備 曹操

 

そん頃、後漢組の組長の献帝に近い、董承(とうしょう)という番頭が

曹操をブチ殺して、後漢組を献帝組長に返すっちゅー企みを考えておって、

劉備もこれに一枚噛んだ。

曹操

 

じゃけんど、曹操にバレてしもうて、董承はサックリ殺られてしもうた。

 

劉備も危なかったけんど、その頃、落ちぶれた袁術組長が親戚の義理で、

袁紹のシマに逃げ出そうとしとるのを、朱霊(しゅれい)と二人でシメに

行っておって助かったんじゃ、西暦199年の事じゃったの。

 

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西暦199年、劉備、徐州の首領に返り咲く

劉備

 

董承が曹操にサックリ殺られたっちゅー噂は劉備にも届いとった。

もうばれるのは時間の問題じゃ、、そう考えた劉備は朱霊だけを帰還させ、

自分は下邳に入り組長やった車冑(しゃちゅう)を殺してシマを奪い、

小沛は若頭の関羽(かんう)に任せて、徐州全域の首領(ドン)に帰り咲いた。

しつこいのぅ、劉備親分、べらぼうにしつこい粘着じゃのぅ♪

陸遜 劉備

 

劉備「どうせ、曹操にはタマ獲ろうとしたんわ、ばれとるんじゃ!

殺られる前に殺ったるだけじゃあ!! 袁紹と組んで徐州のシマを固めて

曹操を挟み撃ちにしちゃらい!!」

 

劉備は、徐州のシマをくまなく回り、地元の組長衆を説得したら、

ほとんどが曹操を見限って、劉備についた。

ドンパチは弱いが、そとづらはいいけん、劉備は得じゃのぅ♪

 

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曹操のヒットマン、劉岱と王忠をシメる劉備親分

朝まで三国志 曹操

 

曹操は怒り狂ったわ、そりゃあそうじゃのう、

てめえの弟とも思って厚遇しとった飼い犬に手ェ咬まれたんじゃ

 

曹操「玄徳、あの泥棒猫がァ!!ワシの仁義にババ引っ掛けくさった!!

もう勘弁ならん、八つ裂きに引き裂いちゃる!!」

 

曹操は、カチ込み要員として、劉岱(りゅうたい)と王忠(おうちゅう)を

徐州に送りだすが、劉備はふてぶてしく居直り余裕をかましちょる。

 

朝まで三国志 劉備

 

劉備「カスが、てめえらなんぞ、相手になるかい!

もっとも、孟徳が出張ってきたら分からんがのww」

 

と二人を返り討ちにしてしまったんじゃ。

 

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