有名人や偉人の名言録って、結構、流行りですよね?
最近では、松岡修造やスティーブ・ジョブスの名言なんかが出ています。
もちろん、物語の宝庫である三国志にも、名言は愚か、珍言まで盛り沢山です。
そろそろ2015年も終わりなので、三国志武将の名言・珍言で締めくくりましょう。
この記事の目次
- 1ページ目
- 曹操孟徳(そうそう・もうとく:155~220年)
- 袁術公路(えんじゅつ・こうろ:155~199年)
- 禰衡正平(でいこう・しょうへい:173~198年)
- 劉備玄徳(りゅうび・げんとく:161~223年)
- 袁紹本初(えんしょう:ほんしょ:154~202年)
- 荀彧文若(じゅんいく・ぶんじゃく:163~212年)
- 陸雲士龍(りくうん・しりゅう:262~303年)
- 曹丕子桓(そうひ・しかん:187~226年)
- 呂布奉先(りょふ・ほうせん:?~198年)
- 董卓仲潁(とうたく・ちゅうえい:138~192年)
- 公孫瓚伯珪(こうそんさん・はくけい?~199年)
- 王粲仲宣(おうさん・ちゅうせん:177~217年)
- 孫権仲謀(そんけん・ちゅうぼう:182~252年)
- 鐘会士季(しょうかい・しき:225~264年)
- 2ページ目
- 張飛益徳(ちょうひ・えきとく:168~221年)
- 鄧艾士載(とうがい・しさい:?~264年)
- 夏侯惇元譲(かこうとん・げんじょう:?~220年)
- 関羽雲長(かんう・うんちょう:160~219年)
- 三国志ライターkawausoの独り言
曹操孟徳(そうそう・もうとく:155~220年)
神亀雖寿 猶有竟時 騰蛇乗霧 終為土灰
※亀は長生きだが、それでも死ぬ、天を駆ける蛇も最後は灰だ!
歩出夏門行という曹操の詩にある言葉です。
万物には天命があるが、それでも大事に使えば長持ちするぞ。
素敵じゃないか、あーこりゃこりゃ♪と続いていきます。
そんな、おちゃらけた曹操が、一番素敵・・
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袁術公路(えんじゅつ・こうろ:155~199年)
はちみつ水飲みたい・・
空気が読めない皇帝即位と贅沢三昧の果てに全てを失い、
飢えと渇きに苦しめられた袁術が言った言葉。
それから数時間で死去します。
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禰衡正平(でいこう・しょうへい:173~198年)
曹操?あんなの大した事ないね・・
禰衡は全裸癖のある三国志随一の奇人です。
友人の孔融から曹操への紹介状を受け取りながら、少しも曹操を尋ねず、
人にその事を問われると悪態をつきました。あまりの奇人ぶりに曹操も持て余し
劉表の所へ追い払いますが、後に黄祖に恨まれ殺されます。
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劉備玄徳(りゅうび・げんとく:161~223年)
すべての事業は人によって興る、人を大事にせねばならない
劉備は貧しい筵売りの境遇から身を起し、三国の一角である蜀漢を興しました。
そこには、劉備に惚れこんだ人々の無償の手助けがあったのです。
劉備は終生、それを忘れる事はなく、この言葉を残しています。
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袁紹本初(えんしょう:ほんしょ:154~202年)
天下に力のある者はどうして董公だけでしょうか。
洛陽に入った董卓(とうたく)は暴政を敷き、
少帝、劉弁(りゅうべん)を廃して弟の陳留王を立てようとします。
袁紹は、これに面と向かって抗議し怒った董卓が「劉氏の種は残す必要なし」と口走ると、上のように言い返して洛陽を去りました。
その後、袁紹は反董卓連合軍の盟主として董卓の前に現れます。
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荀彧文若(じゅんいく・ぶんじゃく:163~212年)
私達は元より至弱を以て至強に当たっているのですぞ!
袁紹との天下分け目の官渡の戦いにおいて兵糧不足に苦しめられた曹操が、
退却をほのめかす手紙を軍師の荀彧に書き送った所、荀彧から来た返信。
「そうだ、敵が強いのは覚悟の上だった」と曹操は奮い立ち奇跡の逆転劇を起します。
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陸雲士龍(りくうん・しりゅう:262~303年)
曹公器物、取其剔歯殲一箇、今以送兄。
※曹操様の遺物、爪楊枝を一個拾いました兄上に送ります。
陸雲は、呉の名将陸遜(りくそん)の孫、彼は晋に仕えて曹操を知り、
熱狂的なモーオタになり、曹操の故宮がある鄴で曹操の遺品の
金の爪楊枝をパクり手紙と共に陸機(りくき)(兄、こちらもモーオタ)に送る。
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曹丕子桓(そうひ・しかん:187~226年)
蜀では肉料理にはちみつかけるんだ!マジで!
曹魏の建国者である魏の文帝(曹丕)はスイーツ好きとして知られており、
葡萄や、梨、蜜柑などについても詔(みことのり)を出しています。
上は、蜀からの投降者、孟達(もうたつ)より蜀の料理方法を聞いた曹丕の言葉。
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呂布奉先(りょふ・ほうせん:?~198年)
大耳兒最叵信(その大耳野郎こそ、一番信用できねェ!)
曹操に捕らわれた呂布は悪びれず自身を曹操に売り込みます。
曹操も、一時、その気になり呂布の縄を緩めようとします。
その時、劉備が呂布が養父の丁原(ていげん)、義父の董卓を殺した事を挙げて
「呂布は信用が置けない」と言うと曹操は考え直します。
上の言葉はその時、逆上した呂布が言った言葉ですが、、
後に劉備は、曹操暗殺計画に加わるので呂布の言い分は、
曹操の立場から見ると100%正確でした。
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董卓仲潁(とうたく・ちゅうえい:138~192年)
為者則己,有者則士(功績は私にあるが、支えたのは諸君である)
董卓は若き日、将軍として羌族の討伐にあたり、恩賞として絹九千匹を得ます。
しかし、董卓はこれを私せず、すべてを部下に配って上のように言います。
後の暴君からは想像できませんが、董卓は部下には人気があったようです。
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公孫瓚伯珪(こうそんさん・はくけい?~199年)
はじめ天下に争乱が起きた時は、我が手の平に唾すれば解決すると思っていた
公孫瓚は、当初は北方四州を得て勢い盛んでしたが、劉虞(りゅうぐ)を
殺して人心を失い、袁紹が台頭するに従い、出撃せず堅固な城に籠るようになります。
戦乱の世は自分の手には余る、年老いた公孫瓚の心のつぶやきです。
王粲仲宣(おうさん・ちゅうせん:177~217年)
ああ、ロバの鳴き声は落ち着くわぁ~
王粲は建安の七子に数えられる名文家であり、法律の専門家です。
風采が良くないので、荊州の劉表(りゅうひょう)には
重く用いられませんでしたが曹操に見出されました。
王粲は、ロバの鳴き声が好きであり、死んだ時には曹丕の提案で
葬儀の出席者全員でロバの鳴き声を真似して送ったと伝えられます。
孫権仲謀(そんけん・ちゅうぼう:182~252年)
彼所求者、於我瓦石耳、孤何惜焉?
※曹丕の求める物は、私にはガラクタだ、
どうしてこれを惜しもう?
劉備(りゅうび)は激怒して呉と断交します。
孫権は呉を守る為に魏に臣従し同盟を結ぼうとしますが
曹丕(そうひ)はその条件に幾つもの珍宝を要求してきました。
呉臣は「曹丕の要求は礼に外れる」と反対しますが孫権は意に介しません。
「私の宝は呉の人民であり珍宝ではない、こんなガラクタを与えて、
人民の安全が守れるなら拒否する理由はなかろう」と言ったのです。
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鐘会士季(しょうかい・しき:225~264年)
泥棒は物を盗るのに許可など得ますまい
鐘会の父は魏の重臣、鐘繇(しょうよう)です。
少年時代の事、鐘会は父が昼寝している隙にその酒を盗み飲みました。
彼の兄は酒を飲む前に一礼をしましたが鐘会は黙って酒を飲みます。
鐘繇は寝たふりを止めて、起きあがると鐘会に
「何故、一礼せずに酒を飲んだか?」と尋ねます。
鐘会の答えが上の言葉です、確かに言われてみればそうです。
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