三国志上、最強の男といえば、関羽(かんう)でも張飛(ちょうひ)でもなく、
呂布(りょふ)です。その圧倒的な武力と自信の為に、それ以外のパラメーターは
ガタガタですが、良くも悪くも、呂布は自分の欲望に忠実に生き、人を裏切っても
自分を裏切らずに死を迎えました、その堂々とした人生を見て行きましょう。
この記事の目次
- 呂布は五原(ごげん)九原(きゅうげん)に生まれた孤児
- 最初の主、丁原(ていげん)に出会う
- 時代は動く、、丁原、何進の命令で洛陽に向かう
- 何進暗殺され、呂布は丁原を斬り、董卓につく
- 董卓と呂布は親子の契りを結ぶ
- 呂布、董卓の愛人と関係し王允と手を組む
- 呂布、董卓暗殺計画
- 虫の知らせ、馬が脱糞して董卓にウンコがつく
- 呂布、董卓を刺し殺す!!
- 董卓が死んで、長安の人々は大喜び
- 董卓の仇討ちに李傕・郭汜が攻め上り、呂布は逃亡する
- 呂布のお宅訪問始まる 最初は袁術さんちへお邪魔♪
- 呂布、次には張楊(ちょうよう)さんちへ、こんにちは!
- 三度目の正直、袁紹さんのお宅では・・
- 無敵の呂布軍団、黒山賊を崩壊させる
- 呂布、よせばいいのに悪い癖が出る・・
- 呂布、次は張邈(ちょうばく)を尋ねるが・・
- 親友だった、張邈と曹操と袁紹に悲しい別れが・・
- 曹操の参謀の陳宮が張邈を唆し、呂布を引き入れる
- 悲しみの曹操は、怒りの鬼に変わる
- 呂布と曹操の戦いは、二年に及び、遂に曹操は呂布を追いだす
- 呂布のお宅訪問は続く、今度は劉備に、こんにちは
- 袁術の手紙で呂布が裏切り劉備大炎上!!
- 袁術、呂布と縁組を提案し、劉備を討とうと紀霊を派遣する
- 男、呂布、30倍の紀霊軍のど真ん中に飛び込む
- 呂布、袁術との縁組を反故にして曹操と結ぶ
- 呂布、曹操により左将軍に任じられる
- 陳登は曹操に会うと、呂布を殺す事を提案する
- 呂布、自分だけ太守にしてもらった陳登に激怒!!
- 陳登は、少しも慌てず、名言をもって呂布を納得させる
- 袁術、縁談を蹴られてウッキーと大炎上
- 呂布、陳珪を呼び出し、何とかしろと詰め寄る
- 陳登、韓暹と楊奉に手紙を送り寝返らせる
- 呂布、泰山の臧霸が貢物を持ってこないので激怒
- 名将、高順が呂布を諌めるが・・
- 呂布、袁術と組んで劉備を攻める
- 陳宮が下ろうとする呂布を押しとどめる
- 呂布の妻が、陳宮の作戦に猛反対!
- 曹操、下邳城を水責めにする
- 空気の読めない男、候成(こうせい)、城内でどんちゃん騒ぎ
- 候成、呂布の仕打ちを恨み、曹操に降伏する
- 呂布の剛胆な最期
- 三国志ライターkawausoの独り言
呂布は五原(ごげん)九原(きゅうげん)に生まれた孤児
呂布は字を奉先(ほうせん)といい、五原九原に生まれました。
この土地は、現在、内モンゴル自治区に入っていて、
当時から遊牧民の住まう草原の国だったようです。
後漢書 呂布伝には、父母の記載もなく、先祖の事もないので、
父母は早くに死んだか、捨てられた孤児だったのかも知れません。
しかし、成長するに従い、呂布は筋骨逞しい大男になり、
特に弓馬の術に優れていました。後漢末の辺境では異民族との
紛争が続き腕っ節のある人間はいつでも不足気味でした。
そこで、呂布は放置されず洴州(へいしゅう)でヒラの武官に取り立てを受けます。
最初の主、丁原(ていげん)に出会う
その頃、丁原が洴州刺史に任じられて、騎都尉としてやってきました。
バリバリの脳筋武将だった丁原は、ひときわ逞しい呂布を気に入り、
彼を盛大にもてなしていきます。
丁原「どうだ、呂布、ワシの幕僚にならぬか?
お前の腕前を、このまま、洴州のド田舎で腐らせるには惜しい」
狼のような心を持ち、常に上昇志向の高い野心の塊だった呂布は、
一も二もなく承諾して、丁原の幕僚になりました。
時代は動く、、丁原、何進の命令で洛陽に向かう
西暦189年4月、霊帝が死去、これを機に、宮中にはびこる宦官勢力を
抹殺したいと考えた大将軍何進(かしん)は、宦官抹殺に同意しない、
妹の何皇太后に脅しを掛ける為に、丁原や董卓(とうたく)、
鮑信(ほうしん)といった軍閥を洛陽に呼び寄せます。
丁原は、勅命とあっては、参内しないわけにもいかず、
呂布を連れて、洴州を出発しました。
何進暗殺され、呂布は丁原を斬り、董卓につく
丁原と呂布は軍勢を率いて、洛陽に入りました。
何進は喜んで、丁原を執金吾(しつきんご)に命じて宮殿の護衛隊長にします。
しかし、宦官を排除する前に何進は、宦官に殺されていました。
何進の部下だった袁紹(えんしょう)や袁術(えんじゅつ)は怒り
宦官を皆殺しにして、その仇を討ちますが洛陽は大混乱になって収拾不可になりました。
そこに入ってきたのが、董卓でした。偶然に、城外で少帝と劉協を
保護した董卓は、次第に横暴な振る舞いをするようになります。
しかし、呂布が丁原と衝突するようになると丁原の側に控える呂布が、
竹内力のような形相で董卓を睨むので、さすがの董卓も色々チビります。
そこで、董卓は策を巡らし、物欲に弱い呂布を赤兎馬(せきとば)と
黄金と、将軍の位で買収して丁原を殺すように命じます。
呂布は少しも躊躇せず、丁原をサックリと殺しました。
董卓と呂布は親子の契りを結ぶ
自分が唆しておきながら、恩義ある丁原をサックリ殺した呂布の軽さに
董卓(とうたく)は内心では、再びチビリます。
董卓(おがっ!こいつ、おっかないっぺ、、だだの用心棒にしたら、
また、誰かに買収されて、オラが殺さちまうだよ・・)
そこで、董卓は、呂布と親子の契りを結び、自分を父と呼ばせ、
呂布を子として扱いました。
これなら、呂布も裏切るまいと考えた董卓ですが、まったく甘い話です。
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呂布、董卓の愛人と関係し王允と手を組む
董卓は、自分が他人の恨みを買っているのを知っているので、
どこに行くにも、呂布を同行させました。
しかし、ある日の事、董卓は機嫌が悪い時があり、
カッとして呂布に向かい、戟を投げつけました。
呂布は動物的な運動神経で、戟をキャッチして、
即座に、ひざまずいて詫びたので、董卓は機嫌を直します。
が、呂布は、この董卓の振舞いに内心腹を立てていました。
また、呂布は内密に、董卓の侍女と関係を持っていて、
これがいつか、董卓に発覚するのではないか?と
毎日、気が気ではありませんでした。
そこに接近してきたのが、司徒(しと)の王允(おういん)です。
従順に董卓に仕えているように見えた王允は、本当は、
董卓暗殺の野心を持ち、呂布に近づいてきたのです。
呂布「しかし、俺と親父は、親子の契りを結んだ仲だ。
子が親を殺すという事が許されようか?」
王允「何を言うのです、あなたの姓は呂、相手は董です。
血肉を分けた間柄ではありません、あかの他人でしょう。
それに、あなたを子と思う人間が、戟を投げつけたりしましょうか?」
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呂布、董卓暗殺計画
呂布「そうだ・・あの豚め、、俺に戟を投げつけおった!!
よし、任せておけ、俺が董卓を殺る!」
王允は呂布と結託して、董卓暗殺の計画を練ります。
その頃、献帝(けんてい)が流行病に罹っていましたが
回復したのを幸いに、王允は勅命を出して董卓に健康回復の
お祝いの挨拶に来るように命じました。
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虫の知らせ、馬が脱糞して董卓にウンコがつく
董卓は、肥りまくった体を揺らして、馬車に乗り込みますが、
突然に馬が暴れて、立ちあがり脱糞したので、転げ落ちた董卓は、
馬糞で着物が汚れてしまい、一度帰宅します。
董卓の若い妻は、
「晴れの日にこういう事があるのは不吉です。
今日の参内は、見合わせられたらいかがでしょうか?」
と言いますが、董卓は笑って、聞き流しました。
董卓が再び、馬車に乗り込むと周辺には呂布以下の護衛が
数十名つきますが、馬車が北腋(ほくえき)門に至ると、
馬が異変を察知して動きません。
董卓「おがっ?そう言えば、さっきもこんな事があったっぺ!!
今日は、やっぱし日が悪いから帰るっぺや!」
しかし、呂布は、薄ら笑いを浮かべて、馬車の退却を許さず、
これを北腋門に押しこむと城門を閉じました。
呂布、董卓を刺し殺す!!
北腋門をくぐると、そこには王允に寝返った李粛(りしゅく)という男がいました。
李粛「逆臣、董卓、詔(みことのり)なり、命はもらったぞ!!」
李粛は勢いよく、馬車の中に矛を突き立てますが、董卓は万が一の為に
鎧を着ていて、それが致命傷にはなりませんでした。
董卓は、衝撃で馬車から転げおちて、無様に地面に転がります。
董卓「呂布ゥ!呂布はどこにいるっぺ!早く来るっぺ!」
呂布「だからよぉ!詔があるってよぉ、、逆臣を殺せってさww」
呂布は、少しも悪びれず、喚き散らす董卓の前に立ちます。
董卓「おめえ、裏切ったっぺ!!薄汚い犬め!恩知らず!腐れ外道」
呂布「あーもう、うるせェ・・あばよ!!」
呂布は、矛を取って、董卓を刺し貫きました。
倒れ込んだ、董卓に周囲の兵士が襲いかかり、董卓を切り刻みます。
こうして、暴虐の限りを尽くした董卓は絶命しました。
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董卓が死んで、長安の人々は大喜び
董卓が死んだと聞くと、長安は盆と正月が、一緒に来たような喜びに湧き立ちました。
女性達は、身につけていた装飾品を売り、肉と酒を買い、誰彼構わず、
暴政から解放された事を喜びあいました。
呂布は、董卓を殺した一番手柄で、王允により奮威(ふんい)将軍に任命され、
仮節を与えられ儀同三司(ぎどうさんし:副大臣)にされて、
領地を貰い温(おん)候になります。
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董卓の仇討ちに李傕・郭汜が攻め上り、呂布は逃亡する
一気に、長安の人の声望を集めた呂布でしたが、王允は、狭量な人物で、
董卓ばかりではなく、董卓にやむなく協力した人々まで処刑します。
このせいで、長安の人々の希望はしぼんでいきました。
さらに、罪を許してくれるように言ってきた、董卓の子分で、
今は西涼にいる李傕(りかく)と郭汜(かくし)も王允は許さず、
厳罰を加えようとしたので、李傕と郭汜はヤケクソで蜂起します。
「こうなりゃ、やられる前にやれだ!!」
必死の李傕と郭汜は、途中で山賊や流民を吸収しながら、
5万の大軍に膨れ上がっていきます。
呂布は、奮武将軍として、李傕の軍勢と戦いますが、多勢に無勢
勝てないと分かると、董卓の首を赤兎馬の鞍につけて、
さっさと長安から逃亡してしまいました。
呂布のお宅訪問始まる 最初は袁術さんちへお邪魔♪
呂布は、僅かな手勢を引きつれて、南陽の袁術(えんじゅつ)を頼りました。
袁術は、呂布を手厚くもてなしますが、呂布の人格の軽い事を知っていて
仕官させようとはしませんでした。
呂布は、董卓を討った事を鼻に掛けていて、
「俺のお陰で袁家は仇が討てたんだから、感謝して当然だ」とばかり、
南陽で好き勝手に振る舞います。
董卓は、袁紹、袁術が反董卓連合軍を起した時に、報復で宮廷にいた、
袁氏を皆殺しにしていました。
そこから、考えると呂布は袁術の恩人なんですが、
それと自分の領地で、好き放題略奪するのは別の話です。
袁術「ムキーーーッ!!元は下郎の分際で、ワシの領地で
好き勝手しおって、今に見ておれ!!」
袁術がブチ切れて、周囲の雰囲気が険悪になったのを察知した、
呂布は、袁術の下から脱出しました。
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呂布、次には張楊(ちょうよう)さんちへ、こんにちは!
次に呂布は河内に入り、張楊を頼りました。
しかし、この河内には、李傕からの命令が回っていました。
「呂布の首を取れば、千金を与えよう」
その為に、張楊から、その配下まで、目をドルマークにして、
呂布を見ていたのです。
ピンチに立った、呂布は、策を思いつき張楊に言いました。
呂布「張稚叔(ちしゅく)どの、俺とあんたは同じ故郷だと聞いた、
その縁で、あんたに手柄を立てさせてやりたいが、聞いてくれるか?」
張楊「ほう、呂将軍、どのような事でしょう?」
呂布「実は、俺は、李傕に恨まれる事、甚だしくヤツは
俺を殺すだけでは飽き足らず、生きたまま、粉々に切り刻みたいと考えている。
だから、俺を殺して届けても李傕は、あまり喜びはしないのだ。
もし、俺を活かしたまま、届ければ、あんたの出世は思いのままだぜ」
張楊「そうでありましたか、いや、それは良い事を教えて頂いた」
張楊は、それ以来、家臣から、呂布を手厚く守り、隙を見て、
自分で捕えようと考えるようになりました。
呂布「はっ!おめでてぇ野郎だ、馬鹿で助かったぜ!あばよ!」
もちろん、呂布はその隙を突いて、赤兎馬に跨り逃げてしまいます。
相手の心理を巧みについた頭脳プレイでした。
三度目の正直、袁紹さんのお宅では・・
三度目の正直、今度の呂布は、袁紹さんのお宅へもぐりこみます。
今度は、幸いにも、袁紹は黒山賊の張燕(ちょうえん)に悩まされていました。
張燕は、歩兵は数万、騎馬は千騎という中々強い賊です。
元々張燕は、反董卓連合軍にも参加したような豪族で、
脅せば散るような流民のような山賊とは桁が違うのです。
呂布「ハッ!張燕如き、私に任せてもらえれば簡単に討ち取ります」
呂布は袁紹の頼みを聞き入れ自慢の赤兎馬を率いて、
たった数十騎で黒山賊に挑みます。
無敵の呂布軍団、黒山賊を崩壊させる
たった数十騎で万の黒山賊に挑んだ呂布ですが、これが強い強い、
赤兎馬は、現在、トルクメニスタンにいる名馬、アハルテケの先祖と言われ
その身体能力は、尋常ではなく、深い塹壕を飛び越え、城内を駆け抜け、
一日に、突撃する事、3~4回、その度に勝って戻り、その手には、
賊の首を数十もひっさげてくる強さでした。
そんな事を、十数日も繰り返すと、黒山賊は、呂布の軍勢を恐れる事甚だしく、
とうとう、張燕の命令を聞かずに、軍は解散してしまいます。
張燕も逃亡してしまい、ここに黒山賊は消滅しました。
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呂布、よせばいいのに悪い癖が出る・・
ここで、大人しく謙虚にしていればトラブルにならないのですが、
自惚れが強い呂布は、また、わがままな態度を取り始めます。
部下にも好き勝手を許し、袁紹には苦情の報告が集まります。
それも分からず呂布は、袁紹に兵を貸してくれるように図々しく頼みます。
袁紹「ふざけるな、、客の癖に少しはわきまえよ呂布!」
呂布は流石に「あれ?」と思って殺気を感じます。
そして、居心地が悪くなった冀州を出ようとしました。
呂布「長居をしすぎたので、そろそろ洛陽に帰ろうと思います」
袁紹「そうか、、御苦労であった、
君を司隷校尉(しれい・こうい)に任じよう」
袁紹は、呂布に官職を与えて、送りだしますが、
その一団に壮士を紛れ込ませていました。
袁紹は壮士に「夜陰に乗じて、呂布を殺れ」と命じていたのです。
うーん、呂布、殺気を感じるのが、やや遅かったようです。
ただ、自分の護衛に胡散臭さを感じた呂布は、動物の勘でこれを察知し、
夜中の闇にまぎれて、トンズラします。
袁紹は、それを聞いて、呂布の報復を恐れ、さらに追っ手を差し向けますが
もう、呂布の姿はどこにもありませんでした。
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呂布、次は張邈(ちょうばく)を尋ねるが・・
放浪する呂布は、次は陳留の太守だった張邈を尋ねました。
呂布の悪評は、ここまで届いていた筈ですが、張邈は呂布を大歓迎します。
二人は、心ゆくまで語り合い、堅い友情を結びました。
張邈は、呂布と誓いを交わし「お互いに裏切らない」事を約束します。
呂布「なんて、いいやつだ!世の中、ろくでなしばっかりじゃねーなww」
自分の事は棚にあげ、そんな風に張邈を思いだす呂布でした。
親友だった、張邈と曹操と袁紹に悲しい別れが・・
さて、張邈と曹操(そうそう)、そして、袁紹(えんしょう)とは
昔からの親友でした。
しかし、性格が真っ直ぐな張邈は、反董卓連合軍で盟主になり、
驕りが見えた袁紹を友人の情で忠告します。
張邈「お前!あまり奢るなよ、皆、お前の徳を慕っているのに、
驕りたかぶりは、すべてを台無しにするぞ」
それを聞いた袁紹は、激しく怒り、以後、張邈との交際を絶ちます。
曹操は、そんな袁紹を諌めますが、袁紹は聞きませんでした。
さらに、張邈は呂布と親しくしていたので、袁紹はかつて、
呂布に煮え湯を飲まされた事を思い出し、曹操に命じます。
袁紹「孟徳!お前、張邈を殺してこい!」
曹操「何を言うんだ、本初!俺達は昔からの友達じゃないか
親友を殺すなんて、俺には出来ないよ」
曹操はとんでもないと首を振って拒否しました。
その噂は、張邈の耳にも入ります、張邈は袁紹の子分である曹操が、
いつか自分を殺すのではないかと疑い始めました。
曹操の参謀の陳宮が張邈を唆し、呂布を引き入れる
同じ頃、兗州牧の曹操は、父を陶謙(とうけん)に殺された事を
理由に徐州(じょしゅう)に出兵します。
その隙を突いて、曹操の参謀だった陳宮(ちんきゅう)が張邈に裏切りを勧めます。
「今、天下は乱れていて、群雄は充満しています。
その中であなたは10万という、人口を持つ都市を
有していて、四方はすべて戦場であります。
これで、いつまでも曹操如きの下に仕え続けるのですか?
幸いにして、曹操は軍を率いて徐州に遠征中、兗州は空っぽです。
今こそ、戦上手の呂布を引き込んで兗州を領して天下に覇を唱えましょう」
本来なら否定する筈ですが、曹操を疑っている張邈は陳宮の計画に乗ります。
こうして、兗州には呂布が迎えられました。
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悲しみの曹操は、怒りの鬼に変わる
曹操「バカな、、何かの間違いだ、孟卓(もうたく)が
俺を裏切るわけはない、俺達は親友なんだぞ!!」
急いで徐州から帰還する曹操ですが、城門は閉じられ、
そこには、張邈と呂布の旗が翻っていました。
曹操「張邈、、、俺は信じていたのに、許さん、絶対に許さんぞ!!」
信じていた親友に裏切られ、曹操は憤怒の鬼となり、呂布に立ち向かいます。
呂布と曹操の戦いは、二年に及び、遂に曹操は呂布を追いだす
陳宮は名軍師でしたが、二つの誤りを犯していました。
それは、兗州において、荀彧(じゅんいく)、そして程昱(ていいく)の
立て籠る城を落せなかった事。
これにより、曹操に根拠地を与えてしまい、電撃戦が不可能になります。
そして、もう一つは、呂布を操縦できると侮った事です。
実際の呂布は、狡賢い所があり、また気まぐれで自惚れも強く、
陳宮の献策をほとんど聞きませんでした。
曹操と呂布は対峙して、100日、折りから、蝗(いなご)の害が発生して、
農作物は食べ尽くされ、兗州の民はお互いに喰い合う惨状が発生。
両者とも戦争どころではなく、一旦、和睦して呂布は山陽に移動します。
曹操は、その間に粘り強く、兗州の城を一つ一つ落してゆき、
呂布の勢力を削ぐと2年後に、鉅野(きょや)で呂布を撃ち破ります。
呂布と陳宮は兗州から落ちのびていきます。
曹操の復讐心は、止まらず張邈の弟の張超(ちょうちょう)を捕え、
三族を皆殺しにします。
かつて、曹操と張邈は、お互いの身に何かあったら、必ず互いの家族の面倒を見ると
誓いあっていました、、その張邈の一族を曹操が滅ぼす、なんと言う皮肉でしょう。
張邈も、袁術を頼り逃げる途中、部下に背かれ殺されます。
呂布のお宅訪問は続く、今度は劉備に、こんにちは
さて、配下に陳宮も加えた呂布は、今度は徐州を陶謙から相続したばかりの
劉備(りゅうび)の所へやってきます。
呂布「おおっ!劉将軍、我が兄弟、是非、私をあなたの家来にして下さい」
呂布は、自分の妻に命じて劉備に酌をさせるなどして機嫌をとりますが、
流石に、呂布に負けない程に群雄を渡り歩き、舌先三寸と逃げ足の速さで
戦乱の世を乗り越えた劉備です。
世慣れた彼は、呂布の態度に卑屈な嘘臭さを感じて一瞬、躊躇います。
が・・袁術に睨まれて、戦火を交えている今、豪傑は一人でも多い方がいい
と目をつぶる事にしました、、これが大失敗とも知らずに・・
袁術の手紙で呂布が裏切り劉備大炎上!!
こうして、袁術と対峙した劉備の背後で、袁術は呂布に
かなり彼をヨイショした手紙を送りました。
袁術「いやいや、呂将軍、あなたが董卓のデブを殺してくれたので、
私は、仇討ちが出来て、すっきりしてるんですよ!あなたは、袁家の恩人です。
ところで、将軍、私の仕事の邪魔をしている、馬骨野郎の劉備のアホ、
こいつが邪魔なんですわァ、そこで呂将軍が、我々に協力して下邳を攻め取ってくれたら、
少ないですが、兵糧を二十万斛差しあげます、こればかりでなく、
次々、必要な物資を揃えてお送りしますけどなぁ?」
これを読んだ呂布は、あっさりと劉備を裏切り、下邳を陥れます。
事態を知った劉備は当然、びっくりぽん!呂布の裏切りには、
ガッカリ君!ガッカリ君!ガッカリ!ガッカリ君!です。
しかし、ここで呂布を討伐すると、当然、袁術と呂布に挟まれて全滅になります。
劉備は煮えくりかえる腹を抑えて呂布に降伏を決意します。
ところが呂布の方でも異変が起きます。
手紙では調子のいい事を言っておきながら袁術は呂布に兵糧一粒、
送ろうとはしません、呂布は担がれて、ただで使われたのでした。
怒った呂布は降伏してきた劉備を馬車で丁重に迎えて、
小沛に駐屯させると、豫州刺史に任命して意趣返しをします。
袁術、呂布と縁組を提案し、劉備を討とうと紀霊を派遣する
袁術は、呂布を味方につける為に両家の縁組を決め、
小沛の劉備を攻める為に、紀霊に3万の兵を与えて、向かわせます。
劉備は恐れて、呂布に援軍を要請しました。
この時、呂布の家臣は、劉備を見殺しにするように進言しました。
「将軍は常に劉備を殺したいと仰っていました、
今が好機です黙って見ておきましょう。」
しかし、呂布は「いや・・」と家臣の意見を遮ります。
呂布「俺が、安全でいられるのは、劉備の野郎が前にいるからだ、、
袁術の猿野郎め、劉備が消えたら、今度は俺を攻めるに決まっている・・
ここは、何としても劉備を救わねえとな」
男、呂布、30倍の紀霊軍のど真ん中に飛び込む
呂布は家臣の反対も聞かず、僅か千騎の手勢を率いて、
紀霊軍、三万のど真ん中に飛び込みます。
紀霊がその気になれば、消し潰せる30分の1の軍勢です。
しかし、自身満々の呂布に気押されて、紀霊は身動きが出来ません。
呂布「よお、紀の字、袁将軍はお元気か?」
紀霊「呂将軍、一体、何の御用ですか・・」
呂布「なあに、、大した事じゃねえ、今回は俺の顔に免じて、
義弟の玄徳のヤツを助けてくれねえかって、それだけよ」
紀霊「お言葉ですが、それは出来ません、、私は劉備討伐を
仰せつかった身の上、それを破る訳には・・」
呂布「ほお、、立派な事だねェ、、だが、それを俺じゃねえ、
天がお望みだとしたら、考えも変わるだろ?」
呂布はいつも肌身離さない方天画戟を地面に突き立てます。
そして、その場から100メートル離れた場所から言いました。
呂布「戟から、小さな刃が出ているだろう、、俺は今から
それを矢で射る、もし命中すれば、それは俺じゃねえ、
天が玄徳を許してやれと言っているって事だ、
もし、当たらなかったら、お互い血を見ようぜww」
呂布は弓を引き絞り、砂粒のように小さい、戟の刃を狙い
一気に放ちます。
ヒュッ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・カッ!!!
矢は、見事に小さな戟の刃に命中していました。
呂布「これで分かったろう、、天の思し召しだ、弟を許してやれ・・
まだ、分からねえってんなら・・」
呂布が、弓を紀霊の軍勢に冗談半分で向けると軍勢は恐れてどよめきました。
紀霊「いや、、まさにこれは天の思し召し、仰る通り軍を引きましょう」
紀霊は、大汗をかき、あわてて軍を撤退させました。
こうまでして、劉備を助けた呂布ですが、劉備は収まらず、
縻竺のお金で兵を集めて謀反しようとして失敗します。
怒った呂布に撃破された劉備は、半べそをかきながら曹操の元へ逃亡します。
呂布、袁術との縁組を反故にして曹操と結ぶ
西暦197年、袁術は、呂布に使いを寄こします。
袁術「ワシ、皆の期待に応えて皇帝になるから宜しく!
ついては、以前の縁組の件を進めて、そなたの娘を我が子の嫁に貰いたい」
呂布は、誰がそんな事望んでいるんだ?と不思議に思いながらも、
袁術と結ぶ為に、娘を袁術の使者の韓胤(かんいん)に伴わせて出発させます。
しかし、呂布の家臣である陳珪(ちんけい)は、その事に危機感を持ちました。
(まずい、ずるがしこい、袁術と脳筋で腕力バカの呂布が手を組んだら
まさにジャイアンの腕力にスネオの頭脳じゃないか、いかんぞ)
こうして陳珪は、呂布に縁組に反対する意見を告げます。
陳珪「袁術は、献帝様がいるのに、皇帝になろうとか言うバカです。
こんなのと縁組したら、身の破滅ですよ。
それよりも献帝を擁している曹操についた方が、ずっとお得ですぜ」
呂布「そうか、俺も確かに、あのケチな猿野郎は気にいらねえんだ・・
よし、袁術とは破談だ、曹操につくぜ」
こうして、あっさり縁談を破棄した呂布は、娘を連れ戻し、
韓胤を捕まえて、曹操に送り届けました。
呂布、曹操により左将軍に任じられる
陳珪は、さらに
「私と息子の陳登(ちんとう)を許に使わして、
さらに曹操と交遊を結びましょう」
と言いますが、いまいち曹操を信用していない呂布は、
陳登がそのまま戻らなくなる事を恐れ、許しませんでした。
しかし、暫くして曹操が使いを送り、呂布を左将軍に任命すると大喜びします。
呂布「なんだ、曹操は気前がいいな、、よし、陳登を許に派遣しろ
そして、俺様に徐州牧の地位をくれるように要請してくるんだ、いいな!」
こうして陳登は、許の曹操の元へ旅立ちます。
関連記事:陳登(ちんとう)とはどんな人?劉備や曹操に認められた大才の持ち主
陳登は曹操に会うと、呂布を殺す事を提案する
さて、陳登は許について、曹操に会見するやいなや、いかに呂布が、
獰猛(どうもう)な変節漢で信じるに値しないか、
そして出来るだけ早く排除すべきであると曹操に力説します。
実は陳登も陳珪も内心は呂布を嫌い、いずれは曹操に鞍替えしようと
考えていたのです。
曹操は、陳登の進言を喜び、父の陳珪の秩(給与)を中二千石にし、
陳登を広陵(こうりょう)太守に任命します。
曹操「今後とも、よろしくワシを助けよ、東方の事は君に任せる」
曹操は、陳登の手をしっかり握り、送りだしました。
呂布、自分だけ太守にしてもらった陳登に激怒!!
呂布は期待していた徐州牧の地位も貰えず、陳珪と陳登だけが
良い思いをしたという事を知って、激怒します。
呂布「お前の父、陳珪は、俺に袁術と手を切る事を勧めて、俺は言う通りにした
だが、これは何だ!お前と陳珪だけが曹操から褒美をもらい俺には無い!!
お前ら親子は、この呂奉先をダシにしたのかあっ!!」
呂布は戟で机を叩き割るような激しい怒りを示します。
陳登は、少しも慌てず、名言をもって呂布を納得させる
しかし、陳登は、曹操に東方を任せると言われる程の人物です。
少しも慌てず、呂布に言いました。
陳登「私は、曹丞相に申しました。
呂将軍は、虎のようなお方です、つねに肉を与えないと、
最期には飢えて人を襲いますと・・
ですが、曹丞相は、笑って、こう言われました。
呂将軍は鷹なり、先に獲物を与えては、どこかに飛び去ると」
この陳登の言葉は、故事成語の
当に其の肉に飽かしむべし,飽かさなれば則ち将に噬人する
として現代まで残っています。
呂布「はっはっは、曹操め、俺様を、虎ではなく鷹に例えたか、、
ふん、鷹ならば、まず、獲物を取らねば、餌をやってはいかぬ・・
曹操は褒美が欲しければ、俺に手柄を立てろと言うたのだな!!」
呂布はこれにより機嫌を直しました、ですが、この曹操と
陳登の問答は事実ではなく、陳登がでっちあげた嘘話でした。
このように陳登は優れた才知を持っていたのです。
関連記事:【呂布の心に響いた名言】その肉を飽かしむべし。飽かざれば人を咬まんとす
袁術、縁談を蹴られてウッキーと大炎上
一方で、袁術、呑気に呂布の所から嫁が来るのを待っている間に、
呂布が縁談を蹴り韓胤が曹操に殺された事を知ります。
袁術「ウッキーーーー!!あの恥知らずの変節漢め、
曹操に寝返り腐りおって絶対に許さーん!!
袁術は、二人の大将軍、張勳(ちょうくん)、橋蕤(きょうずい)に
数万の歩兵騎兵を与え、さらに後詰めに山賊あがりの韓暹(かんせい)、
楊奉(ようほう)を加えて、七つの道から徐州に進撃します。
ところが、呂布の元には、三千の兵と騎兵400名しかいません。
さあ、呂布大ピンチです。
呂布、陳珪を呼び出し、何とかしろと詰め寄る
慌てた呂布は、陳珪を呼びだして言います。
呂布「おい!陳珪、俺はお前の策で袁術と断交した、、
そしたら、袁術は大軍を送って俺を攻めている、
これはお前が撒いた種だ、何とかしてみせろ!!」
確かに策を持ってきたのは、陳珪ですが、それを採用したのは、
呂布です、陳珪だけを責めるのは筋違いですが、
陳珪は、余裕綽々で少しも慌てませんでした。
陳珪「御心配にあるな、、袁術は大軍に見えても、張勳と橋蕤、
韓暹と楊奉は、それぞれ、考えもバラバラで、一枚岩ではありません。
そこに揺さぶりをかけて、引き裂くのは難しくありません。
ここは、息子の陳登にお任せ下さいませ」
陳登、韓暹と楊奉に手紙を送り寝返らせる
呂布は、陳珪の言う通りに陳登に全てを任せます。
すると、陳登は進軍してくる韓暹と楊奉に手紙を出しました。
「呂将軍は、かつて大逆人の董卓を斬り、
滅亡寸前だった漢室を救った天下の功労者だ。
そして、今や漢室から左将軍の地位を受けた方でもある。
将軍が天下に正義の名を残すのは明らかであろう。
一方で、君達の主君の袁術は何者だ?
かつてに皇帝を自称している大逆人ではないか?
今からでも遅くはない、漢室に降伏して大逆人、袁術を討てば
諸君には、袁術が持ってきた物資の全てを与えよう」
韓暹と楊奉は、手紙を見て、もっともだと思い、あっさり謀反を決意。
前線で奮闘する張勳と橋蕤の軍に背後から襲いかかったからたまりません。
正面の呂布と背後の韓暹と楊奉に挟まれて大ダメージを受け
袁術はスタコラ逃亡、橋蕤は捕えられて斬られ、張勲は脱出。
袁術軍は、すべて全滅しました。
それにしても、この時点でも、董卓を斬った呂布=善という図式が
生き残っているというのが不思議です。
どんだけ民衆に嫌われていたんだよ董卓?おがっ!
まあ、元が山賊の二人、積み上げた袁術の物資が目的だったのかも
知れませんけどね。
呂布、泰山の臧霸が貢物を持ってこないので激怒
その頃、泰山の臧霸(ぞうは)という男が呂布の勢力下に近い、
莒県(きょけん)を攻め落とします。
しかし、袁術を降して大勢力になっていた呂布の威勢を
気にした臧霸は、機嫌を取ろうと考え、、
「貢物を送りますので、どうか勘弁して下さい」
と下手に出てきました。
呂布はそれを聞いて機嫌を直しましたが、臧霸は口先男で、
その後、いくら待っても、貢物を送ってきません。
呂布「あんだあ?臧霸のヤロー、貢物の話はどーなったんだ!
俺様は、ああいう口先野郎が大嫌いなんだよ!!」
自分の事は棚にあげて呂布は、兵を出して臧霸を攻めようとします。
名将、高順が呂布を諌めるが・・
それに対して、部下の高順が呂布を押しとどめました。
高順は、入念な下調べで知られた慎重な武将で、戦えば必ず勝つと言われ、
「陥陣営」の異名を取る名将、当時呂布に仕えていた張遼と双壁でした。
部下の規律も厳しく、自身も酒は飲まず、賄賂も取らない清廉な人で、
強さ以外は全て呂布と正反対なのに何故か、呂布の部下という不思議な人です。
高順「将軍の名前は天下に轟いております、臧霸如きが僅かな貢物を
持ってこない程度で何を不満を持つ必要がありましょう。
もし、臧霸を攻めて失敗して御覧なさい、将軍の名前には傷がつきますぞ。
そして、その傷はちっぽけな貢物とは比較になりません」
しかし、言って聞くようなら呂布じゃありません。
高順の意見を無視して、莒県を攻めますが、すでに備えをしていた
臧霸は、これを撃破してしまいます。
呂布は何も出来ずに空しく撤退し、自分の名前に傷をつけました。
さらに、報復を恐れた臧霸は、しばらくして呂布と同盟を結びにきたから
たまりません、呂布の戦は全く無駄だったのです。
高順「将軍、あなたは、大体にして思慮が足りません、、感情で動き、
これまで犯した失敗は数え切れない程です、少しは反省して下さい」
ところが、呂布は高順の意見を聴きはしましたが、
自分の態度を改めようとはしませんでした。
そう、それで反省するようなら、呂布じゃないからです。
関連記事:高順(こうじゅん)ってどんな人?張遼と双壁を為す呂布軍の名将
呂布、袁術と組んで劉備を攻める
西暦198年、曹操は、これ以上呂布を野放しには出来ないと考え、
配下の劉備を送りこんで攻撃させます。
呂布は、緊急事態に、反目していた袁術と結び、劉備を撃ち破ります。
曹操はさらに、夏侯惇(かこうとん)を派遣しますが、これは高順に破られます。
いよいよ、本気になった曹操は、自ら自軍を率いますが、無駄な流血を
避けようと、呂布に手紙を送り降伏を促します。
陳宮が下ろうとする呂布を押しとどめる
曹操の降伏条件は、かなり寛容なものだったようで、
呂布は追い込まれている事もあり、あっさりと曹操に降伏しようとします。
しかし、これに陳宮が猛反対しました。
当然です、打倒曹操で呂布を担いだのにその呂布に降伏されては、
たまったものではありません。
陳宮「将軍、騙されてはいけません、これは曹操の罠です。
ヤツは遠征をする自信がなく兵糧切れを恐れているのです。
将軍が城の外に兵を出して戦い、私が城内で守れば必ず防げます。
すなわち曹操が将軍を攻めれば、私が城から出て挟み撃ちにし
曹操が、城を攻めれば将軍が私を援護して撃破するのです。
これを繰り返して、10日もすれば、曹操は補給が続かずに
退却します、問題はありません。」
呂布は、それに賛成して、曹操の降伏勧告を蹴りました。
呂布の妻が、陳宮の作戦に猛反対!
ところが、呂布が陳宮の策の通りに、外に出ようとすると、
呂布の妻が、これに猛反対します。
妻「あなたは、どこまでお人好しなのでしょう?
あの陳宮は、かつて曹操の配下で、曹操がその意見を聞くこと
赤子が母の言いつけを聞く如くでした。
そこまでして大事にしてくれた曹操の恩義を裏切り、
あの男は謀反してしまったのですよ。
ましてや、あなたは、陳宮を大事にする所曹操には及びません。
これで、あなたが城外に出てしまったら、
私はもう、あなたの妻でいる事は出来ないでしょう」
呂布「むうう、、そうか、、陳宮め、、危うく騙される所であった」
実は、陳宮は呂布とも呂布の配下とも折り合いが悪く、
特に、高順との仲が最悪でした。
その為に悪評が立ち、呂布の妻も陳宮を信用していなかったのです。
呂布は、自分も城に入って戦うと決めます。
陳宮は呂布の変心に戸惑い「何故です?」と問いますが
呂布は、「うるさい、だまれ」と言うばかりでした。
こうして、呂布は、人を遣って袁術に援軍を請い、自身は千騎程度で、
曹操軍に立ち向かい、破れて下邳城に籠りました。
また袁術は、その頃、すっかり衰えて呂布に援軍を出せませんでした。
曹操、下邳城を水責めにする
曹操は、追い詰められた時の呂布の獣のような強さを知っていたので、
正面からは戦わず、近くの川をせき止めて、決壊させました。
たちまち、下邳城は水浸しになります。
それから、3カ月、兵糧がとぼしくなった城内では急速に、
士気が下がっていき、呂布の焦りも募っていきました。
空気の読めない男、候成(こうせい)、城内でどんちゃん騒ぎ
籠城の最中、呂布の配下の候成の食客が候成が飼っていた名馬を
持ち逃げして途中で捕まるという事がありました。
候成は、これを捕えて処刑し、無事に名馬を取り戻します。
城内では久々に良いニュースなので、諸将は、宴を開こうと考え、
貯蔵しておいた酒も出してきます。
候成「おおっ!そうじゃ、折角だから、将軍にも祝ってもらおう」
こうして、候成は、呂布の前で宴の用意をし、
酒を一番に、呂布に飲んでもらおうとします。
しかし、イライラしていた、呂布はこれを悪ふざけと取りました。
呂布「・・禁酒しているワシに酒を勧めるとは、貴様、何の冗談だ」
候成「いえ、、誤解です、私はただ、酒でもって、軍議を円滑に進めたいと・・」
焦った、候成が、言いわけをしたのが、さらに呂布を怒らせます。
呂布「この呂奉先が、かつて、酒を飲んで大事を謀った事があるか!!
大馬鹿野郎どもがあっ!!」
呂布は、祝いの膳をひっくり返して、出て行ってしまいます。
候成、呂布の仕打ちを恨み、曹操に降伏する
候成「くそっ、、もう、あの気分屋のわがまま野郎には、ついていけねえ、、
俺が何をやったってんだ!もう我慢できねえ、俺は曹操に降るぞ」
候成が言うと、呂布とは親戚の魏続(ぎぞく)も従います。
二人は兵を集めると、寝ていた陳宮と高順を捕えて、そのまま城門を開き
曹操に降伏してしまいました。
呂布は配下から、事情を聞くと、黙したまま、城の櫓に上ります。
下を見下ろすと水漬しの向こうに曹操の大軍が見えました。
呂布「もう、いいか、、やるだけはやった、、おい、お前ら、
今まで御苦労だった、俺の首を斬って曹操への手柄にしろ」
その潔い態度に、配下は涙を流し、「出来ません」と下を向きました。
呂布「ちっ、、泣くんじゃねえよ、バカヤロウ・・
仕方ねえなあ、、使者を立てろ、降伏するぞ」
こうして、呂布は曹操に降伏しました。
呂布の剛胆な最期
呂布は、縄で縛られ、曹操と劉備の前に引き出されました。
周囲には、先に捕えられた、陳宮や高順もいます。
呂布「曹丞相におかれましては、天下統一の儀、お喜び申し上げる」
呂布は、曹操に会うやいなや、こんな謎かけのような事を言いました。
曹操「ほお、、それはどういう事であるか?」
呂布「御存じでしょう? あなたにとって、天下唯一の障害は、
この呂布であった、その私が降伏したのですから、もう憂いは何もない
後は、私を配下として、四方の賊を討ち払えば、天下は統一です。
ですから、お礼を申し上げたのです」
曹操は、ふむと頷いてしまいます。
呂布「あたたた、、曹丞相、私はこの通り、心から降伏しております。
かようにきつく縄で縛らないで緩めて下され、、
おお、劉玄徳殿、、かつては私と兄弟の契りを結んだ仲ではないか?
さあさ、あなたからも、何か一言仰って下され」
劉備「曹丞相!騙されてはいけません!
こやつが、かつて丁原を斬り、また、親子とも名乗った
董卓をも斬った事をお忘れか!!」
劉備が、顔色を変えて怒鳴ったので、縄を緩めようとしていた、
曹操は我に返りました。
呂布の策は寸前の所で、劉備のせいで破れてしまったのです。
呂布「黙れ!この大耳野郎が!曹丞相、
この劉備こそが一番信用ならぬ男ですぞ!!」
わめきちらす呂布を曹操は叱りつけ、直ちに、処刑人に
首を刎ねさせてしまいました。
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三国志ライターkawausoの独り言
呂布の評価については、陳寿(ちんじゅ)を持ち出すまでもなく、
部下だった、高順の言葉につきています。
「よく考えもせず、感情だけで動き、失敗は数え切れない男」
でも、呂布は冷酷非情ばかりでもないのです、、
自分を守る為とはいえ、劉備を救い、董卓を斬っては、長安の民衆に
感謝され、最期には、部下に「俺の首を刎ねて手柄にしろ」と
殊勝な事を言っていたりします。
また、腹黒い劉備とは違い、曹操に鷹と褒められると、
「では手柄を立てねば」とやる気を取り戻したり、
どこまでも功名心と自分の欲望に従ったそんな生涯だったように思います。
個人としては、いいヤツだったのではないでしょうか?